此松の実ばえせし代や神の秋

https://yeahscars.com/kuhi/konomatsu/  【此松の実ばえせし代や神の秋】 より

このまつの みばえせしよや かみのあき

此松の実ばえせし代や神の秋桃青こと松尾芭蕉44歳。貞享4年(1687年)8月25日に成った「鹿島紀行」に、「神前」として載る句。

鹿島の根本寺に戻っていた仏頂和尚の招きに応じ、仲秋の名月を鑑賞するための旅だったが、当日は雨。数日の滞在で、鹿島神宮にも参拝したと見え、鹿島紀行の「神前」には、芭蕉の句に続いて、宗波「ぬぐはゞや石のおましの苔の露」、曾良の「膝折るやかしこまりなく鹿の声」が載る。

仏頂和尚は、芭蕉より3才年長の禅の師匠。根本寺第21世住職であり、鹿島神宮との領地争いでしばしば江戸に出向き、芭蕉庵にも近い江戸深川の臨川寺に滞在した。

この句では「松」が詠み込まれているが、当時の鹿島には、七不思議に数え上げられる「根上がり松」というのがあり、何度伐っても枯れることがなかったという。その松が芽吹いた頃の、太古に思いを馳せて詠んだ句だと言われている。

▶ 松尾芭蕉の句

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鹿島神宮奥宮前の句碑(茨城県鹿嶋市)

此松の実ばえせし代や神の秋鹿島神宮奥宮の正面に、売店兼茶屋があり、その脇に案内板とともに灯篭型の句碑が立つ。明和3年(1766年)4月、鹿島宮中此松庵連建立。碑左に「松原庵鳥醉松露庵烏明」と刻まれており、白井鳥酔が建立に関わっている。

案内板には、「此松の実ばえせし代や神の秋」の句とともに「俳聖松尾芭蕉が当神宮に参拝したおり詠んだ句(1687)神前の前書がある」と書かれている。そしてその下に何故か、鹿島七不思議「海の音」の説明書きが貼られている。


https://japanmystery.com/ibaraki/kasima.html 【鹿島神宮 七不思議】より

常陸一の宮である鹿島神宮は、平安期より伊勢神宮・香取神宮と共に「神宮」と呼び慣わされた名社であり、香取神宮・息栖神社と共に「東国三社」とされてきた。その祭神は武甕槌大神であり、天孫降臨に先だって葦原中国平定(いわゆる「国譲り神話」)をおこなった武神である。鹿島神宮はその祭神の性格を反映するように、創建時から東国(蝦夷)平定の最前線として位置づけられていたと考えられる。

鹿島神宮には、七不思議と呼ばれるものが伝わっている。以下の7つである。

1.要石

地震を起こす大鯰の頭を押さえつけていると言われる石。この石があるため、鹿島地方では大きな地震は起きないと伝わる。かつて徳川光圀がこの石の根を確かめようと七日七晩掘らせたが、結局根に辿り着くことができず、事故が頻発したので取りやめたという。

2.御手洗池

参拝前に身を清めたとされる湧水の池。大人でも子供でも池に入ると、水面が胸の高さまでしかこないと言われる。

3.末無川

神宮境外にある川。川の流れが途中で地下に潜って切れてしまい、その末がわからない川とされる。

4.御藤の花

藤原鎌足が植えたとされる藤の木。その木が付ける花の数で、作物の豊凶を占った。(現存せず)

5.根上がり松

神宮境内にある松の木は全て、伐っても切り株から芽が生えて、何度伐っても枯れることがない。(現在は不明)

6.松の箸

神宮境内の松で作られた箸はヤニが出ないとされる。(現在は箸が作られていないとのこと)

7.海の音

鹿島灘の波の音が、北から聞こえると晴れ、南から聞こえると雨となる。


http://www.basho.jp/senjin/s0808-1/index.html  【神前 此松のみばえせし代や神の秋

芭蕉(鹿島詣)】 より

  鹿島神宮の広前にぬかずくと、深い森にある「根あがりの松」が実生(みしょう)で種から芽を出したころの遥かな昔の秋、その神代のことがしのばれることだ、という意。芭蕉の「鹿島詣」は、貞享四年(一六八七)八月、同行は神道家の曾良と禅僧の宗波であった。

  暑さの続く一日鹿島へ出掛けた。重要文化財の楼門をくぐり、美しく掃き清められた奥参道を進む。広大な自然樹林を歩くと、とてもすがすがしい気分になる。奥宮の前に角柱の句碑があった。明和三年(一七六六)の建立。神域の木立の中でこの句を読むと、芭蕉の感慨がまっすぐに伝わってくる。その右奥には謡曲でも知られる要石(かなめいし)がある。傍らの句碑は「枯枝に鴉のとまりけり穐の暮」。これは鹿島の地で詠んだものではないが、そばの木の枝に鴉が一羽止まっていて驚いた。枯れ枝の季節にはぴったりの光景になるのであろう。「根あがりの松」について神宮に尋ねた。「芭蕉の見た松かどうかは別にして、その名の松は近年まであった。しかし全国的に広がった松食い虫の被害で、ついに枯れてしまった。あった場所は境内の外で、高天原とか鬼塚といわれる所。そこはとても地盤が硬く、牛蒡のような松の根が地上に何本か露出していた。境内については地盤がとてもやわらかいが、現在では松そのものを見つけることも難しい」との事であった。

「根あがりの松」とは特定の松を指すのか、それとも神域全体の松をいうのか、諸説ある

解釈について、いろいろ考えさせられた。それは芭蕉が句を詠んでから三百余年の月日が流れ、自然が変遷したことを伝えるものでもあると思った。