http://www.50pa.com/haisya/kenkyu/kenkyu-pdf/119-shibe.html 【俳写って何‥‥? 心象風景の文字】より
俳句と写真を組み合わせた自由表現の世界が「俳写」です。季語が必ずしも必要とされるわけでもなく、写真も合成は不可と言うわけでもありません。ある意味俳句でなくとも構わないのかも知れません。あえて言うなら写真の説明句は避けたいな、という程度のゆる〜い約束でしょうか。それが制作者にとって自由であるが故の不安で、意外と不自由なもの、創作って何‥‥?と、頭を使うことになります。
● ひそやかに蕊(しべ)の字降らす散歩道 尊晴
この句には季語はありませんが、写真から季節は測れるでしょう。さらに、心と心の三文字が二重三重になった桜蕊(しべ)として、この写真から読み取れるかと思います。
写真で説明出来るものは写真にまかせます。散歩道は今、桜しべが散り敷いています。
象形文字の「蕊」が、心象風景の「散り散り・心模様」となって路上を点々と赤く染めるかどうか、俳句と写真の組み合わせで試してみました。
https://ameblo.jp/tomoohanashi/entry-12288527571.html 【俳句のひとつの要3-客観写生について】より
前回は「間」について書いた。今回は、五七五の言葉と、その作品作り出す世界と作者が表現しようとした心象について考えてみたい。
「作者が表現したい心象」ということをテーマにした段階で、子規、虚子の「客観写生」は問題からはずしていることになる。理由は、「客観写生」とは理論的にはあり得ないと考えるからである。古い狩野派の絵も、そこにある象徴性を考えると「客観写生」とは言えない。レオナルドダヴィンチのコンテ絵も、作者の心が込められることから厳密には「客観写生」ではない。
では子規の俳句は?と考えてみると、やはり作者の心が表れているといえる。
例えば次の句、典型的な写生の句と言われる。
鶏頭の十四五本もありぬべし
「ありぬべし」の言葉は、「ーーーーあるなあーーーー」という心の思いを表現している。完全な「客観写生」の句とは言えないと思う。もちろん、「ありぬべし」の下五に作者の心は少し表されているだけだが。
形容詞、形容動詞はできるだけ使わぬようにーーーーなぜならそれらは作者の心を表すから、と言われてきた。ならば、助動詞、動詞も、形容詞や形容動詞ほどではなくても作者の心を表していることを考えるなら、作者の自分の心象を表しているとかんがえるべきである。
ならば、全て名詞で作った句の場合はどうだろうか。
目に青葉山ほととぎす初鰹
山口素堂の句である。青葉、ほととぎす、初鰹、季語を三つ使っている。季語であろうとなかろうと、名詞にも作者の心象を表す力、あるいは機能が必ずある。それがこの句が表現する作者の心である。「目に」の言葉は、「見える」という作者の心象を表現しているので、確かに、重要である。季語三語との表現に力を与えるのはどちらかと問うと、季語三語が大きいように思う。
青葉山ほととぎす初鰹かな
としても句が与える印象はさほど弱くならない。もちろん音とリズムはだいぶ劣ってしまうが。
これはどうだろう。
一心安楽琉球鳳凰木散華
夏石番矢の句である。抽象あるいは心象を表現する名詞が入っているが、ひとまず全て名詞である。しかし、読み手は作者の表現しようとしている心象を把握できる。
名詞もまた作者の心を表現するということである。
最初にあげた「鶏頭の十四五本もありぬべし」をこうしたらどうだろう。
曼珠沙華十四五本もありぬべし
鶏頭と曼珠沙華のわたしたちに与える感じの違いがそのまま作品の表す風景の心象の違いになっている。
名詞もまた作者の心を表現するということである。すると、完璧な客観写生は、言葉を使っている限りあり得ないということになる。
どうだろう。言葉を使う作品である限り、完璧な客観写生はあり得ない、この地点から俳句の歴史を考えると、もっとわかりやすい歴史になるように思う。
最後に、高浜虚子が大正二年に詠んだ句をあげよう。
春風や闘志いだきて岡に立つ
子規を継いで、子規よりも客観写生を強調した虚子の句だが、虚子もこうした句が好きなところがあり、しかしホトトギスの姿勢として客観写生という理念を旗にしたのではないだろうか。これはわたしの想像である。
https://philosophy.hix05.com/izutsu/izutsu22.basho.html 【芭蕉の心象風景】 より
芭蕉の句は深層意識に映った光景をそのまま詠んでいる、と指摘したのは井筒俊彦だ。深層意識に映った光景というのは、井筒によれば分節以前の未分節の状態で、したがって混沌としたものだ。その混沌から余韻が生まれる。芭蕉の句の強みはその余韻にある。俳句とはそもそも余韻の芸術なのだ。芭蕉がその余韻を重んじたのか、あるいは余韻が芭蕉によって見出されたのか。どちらとも言えないが、芭蕉の登場によって、余韻の芸術としての俳句が成立したのは間違いないようだ。そこで小生は、芭蕉の句に一々あたり、そこにどのような事情が成立しているのか、考えてみたいと思う。考えてみたいというのは、とりあえずは井筒からもらったヒントをもとに、それがどのくらいの妥当性を主張できるかについて、いささか納得できるものを得たいと思うからだ。
分節とか未分節といった言い方をしたが、分節というのは、ものごとやことがらを理知的に認識することを言う。分別とも言い換えることができる。意識に現われて来る対象に、切れ目を入れて、あるものを別のものから区別し、そのものをそのものとして認識する作用が分節である。この作用があるおかげで、我々は理知的に経験世界を認識することができる。この作用というか、能力が働かないと、対象はそのものとして認識されない。あるものとほかのものとの区別がつかない結果、対象は混沌として輪郭を持たないものとなってしまう。こうした状態を、精神医学の言葉で統合失調症という。あるものを自己同一のものとして、認識できないとう状態を、この言葉で表現しているわけだ。さまざまに異なった現れを通じて、それが同一物の諸様相だと認識するのは、現象を統合する働きがあるからで、その統合がうまく働かない状態を統合失調症というわけだ。昔は分裂症と呼ばれていた。同一のものが同一のものと認識されないことで、同一物のさまざまなあらわれが、違ったものの別々の現われと映り、あたかも同一物が分裂しているような観を呈することから、そう名づけられたワケである。
したがって、分節とか分別というものは、我々が生きていくうえで不可欠のものであり、それが健全に働かないと、我々は統合失調症に似た状態に陥る可能性があるわけである。にもかかわらず、分節以前の状態、つまり未分節なものには、それなりの意義がある。その意義は多義にわたるが、芸術におけるものはその重要なものの一つだ、と井筒は考えていたようである。芸術は、人間における理智的な部分とは違った能力にかかわる。理智的な能力が人間の表層意識を舞台にして展開するのに対して、多くの芸術的な営みは深層意識を舞台に展開する。とりわけ俳句のような、余韻を生命にした芸術の場合、深層意識の働きは、決定的な意義を持つ。俳句は、理屈だっていてはならない、とはよく言われることだが、理屈というのは、まさに表層意識がひねり出すものだ。俳句は、表層意識にとどまっていては、なかなかいいものは出来ない。深層意識まで下りて行って、そこに映った世界を詠むようでないと、いいものは出来ないのである。
そこで、芭蕉の句をいくつかとりあげ、それが果たして深層意識と深いかかわりをもっているのかどうか、たしかめてみたい。
まず、「奥の細道」から次の句
しずけさや岩にしみいる蝉の声
これは、立石寺で詠んだ句だ。夏のさかりに、あたり一面に蝉が鳴く声が聞こえる。それが山寺全体の静寂とどういうわけか溶け合っている。蝉の声というのは、虚心に聞けばけっこううるさいもので、しかもそれが一斉に鳴いては、耳を弄するばかりの大音量に聞こえるものだが、この句ではなぜか、周囲の静寂に溶け込んでいる。この感覚はどこからくるのか。理智的に説明したのでは、説明にはならない。第一俳句というものは説明には馴染まないものなのだ。結局これは、蝉の声がそのものとして、周りのものから分節されて、蝉の声として理智的に認識される前の状態を詠ったのだととらえられるのではないか。つまり、芭蕉は表層意識で蝉の声を捉えているのではなく、深層意識で捕らえていたのではないか。深層意識でのことだから、山寺の静寂と蝉の声の大音量とは分節されていない。静寂と蝉の声とは、未分節の状態で渾然一体となっている。芭蕉はその渾然一体のものに反応したわけで、それをコトバであらわしたら上のような句になったということではないか。
同じく「奥の細道」から次の一句。
さみだれを集めてはやし最上川
これは雨の中を船に乗って最上川を下ったときの感慨を詠んだものだ。蝉の句に比べるといくらかわかりやすい。情景としても思い浮かびやすいし、また実際芭蕉は雨の中を船で河を下るサスペンスを感じたのであろう。この句から思い浮かぶのは、降るさみだれ、その雨を集めながら流れる川の速さ、そしてその川がほかならぬ最上川だということだ。最上川に焦点を当てれば、これは五月雨の時期の水量豊富に流れる最上川の状態をスケッチ風に詠んだものということになるし、さみだれに焦点をあてれば、川を増水させ、船を早く運び去る水の勢いを詠んだものということになる。さみだれというのは、土砂降りに降る雨のことだから、勢いがある。その勢いが川を暴れさせる、というふうに受け取れる。だがそれは、やや理屈が勝った解釈だ。実際にこの句を詠んでの印象は、さみだれと最上川とが渾然一体となった風景ではないか。五月雨が最上川に降りかかっているのではない、あるいは最上川が五月雨を集めて早く流れているのではない。五月雨と最上川の水とが渾然一体となっている、そういう光景ではないか。そういう意味合いでこの句も、芭蕉の深層意識に映じた、渾然とした心象を詠んでいると受け取ることができる。
次は、芭蕉の句のなかでも最も有名な一句。
古池やかわずとびこむ水の音
これは、古池に蛙が飛び込んだ、その水の音が聞えたという具合に、写実的なものとして読んだのでは、何ということのない凡庸な句に聞こえる。これが写実を超えたものとして聞こえるのは、古池と水の音との間に断絶があるためだ。この断絶があるために、古池と水の音との間の因果関係が断ち切られ、古池と水の音とは無関係なものとして、並列的に見えて来る。本来無関係なものが並列され、しかもそこに余韻のようなものが生まれる。その余韻がこの句を味わい深いものにしている。俳句には、かならず断絶を入れろという鉄則があるが、これがないと句が説明調になって、すらすらと理智的に読めてしまう。余韻などは生じる余地がない。余韻を生じさせるにはかならず断絶を入れることが肝要だ。そう言われるわけだが、断絶を入れることによって、俳句に詠んだイメージをいったんごちゃまぜにするという効果が生まれることを、この鉄則は知らせてくれるわけだ。そのごちゃまぜは、深層意識に映った未分節なものに通じるのである。
次は、芭蕉の辞世の句とされる一句。
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
この味わい深い句は、旅に病んで床に臥せったときの芭蕉の気持を正直に詠んだものだろう。病んで意識が朦朧とした状態で、夢を見ることがあるのか、あるいは思い浮かぶことがことごとく夢のように見えるのか。この句を詠んだ時の芭蕉には、そうした分別はなかったに違いない。自分の意識に映じたものを、理智をまじえずにそのまま詠んだということではないか。その時自分の意識に映じたものは、分節以前の混沌とした世界だった、というふうに芭蕉は感じたのではないか。この句には、死にゆく芭蕉の深層意識に映じた混沌とした世界が、走馬灯のように駆け巡っていたさまが垣間見られるのである。
https://www.miraiku.com/sanku16/ 【我をテーマにした俳句(厳選三句)】より
人殺す我かも知らず飛ぶ蛍 普羅
「人殺す」とはぶっそうな書き出しである。二十九歳の時の作で、その活動した時代は、戦争という不幸なうねりの真っ只中だったことを思えば、少し納得できる。虚子が「石鼎の句は春の如く夏野如く、普羅の句は、秋の如く冬の如し」と表したように、氏は簡素な表現を以て、自分の置かれたいる時代環境を、自己凝視している。その心象の背景に蛍という、美しく儚い生命をモンタージュとして据えている。この句は、鬼城、石鼎らと虚子門四天王と呼ばれた前田普羅の「定本普羅句集」より引いた。
しなやかにわたしを脱いで 半夏生 憲香
半夏生は夏至の第三候にあたり、夏至から数えて十一日目。この頃は、農事に関する風習が様々ある。たとえば、この日は野菜を食べず、竹林に入らず、などの物忌みをしたり、農凶を占ったりしたらしい。こんな禁忌の日だからこそ、自分に纏わりついた過去のいやな思いを一掃したい気分に、誰しもなる。わたくしを脱ぐという省略された表現が、心地よい。またこの半夏生を時候のそれではなく、半夏生草(ドクダミ科の多年草)と、とっても面白い。この句は青玄合同句集11から引いた中村憲香の句。
わたくしの純度濃くなる 墨をする 砂代里
金属や液体なら純度は容易に、数字で計り示すことが出来るが、人間の心の純度はどうして表せばいいのだろう。「あの人は、純粋な人だ」などという表現があるが、何を尺度にそう言っているのだろうか?たしかに、ふっとした心の緩みや行為で、濁ったように思える時がある。純度の究極は白とすれば、無垢の心で、墨を磨り続けてことが(何かに集中する)自分の純度を上げる手段なり得るかも知れない。
この句は青玄合同句集11から引いた山口砂代里の句。
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