足利学校 日本最古の学校とは?【日本遺産】

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足利学校

足利学校(あしかが-がっこう)は、栃木県足利市にあった日本で最古の学校とされる教育機関で、国の史跡に指定されています。

最初に学校として創建された時期には諸説ありますが、まずは、すべてご紹介してみたいと存じます。

もっとも古いとする説では、奈良時代の国学の遺制とされます。

国学(こくがく)と言うのは、律令制において、官人(いわゆる官僚)を育成するため、日本の各国に設置された地方教育機関となります。

701年に天武天皇が制定した大宝律令によって各国の国府にそれぞれ1校の設置が義務付けられました。

この時、大宝律令(たいほうりつりょう)の選定に携わったのは、刑部親王・藤原不比等・粟田真人・下毛野古麻呂らとなります。

この下毛野古麻呂(しもつけの-の-こまろ)は、まさに足利学校がある下野国の国造出身の公卿でした。

その次の説としては、平安時代初期である832年頃に、小野篁(おののたかむら)が創建したとする説が鎌倉大草紙から取られています。

なお、武蔵七党の猪俣党・横山党の先祖は小野篁としていますので、関東北部に昔から縁もあったようです。

その次は、鎌倉時代の初期になりますが、この説が最も有力です>

足利荘を支配した足利氏2代当主である足利義兼が建てたという事になっています。

ただし、小野篁のあと、足利学校を再建したとも、受け取れるでしょう。

これら、貴重な古い歴史に関しては、江戸時代に書院などが火災となり、書物が焼失しているため、よくわかっていません。

最後の説としては、1439年に関東管領・上杉憲実(うえすぎ-のりざね)が創建したともあります。

上杉憲実は、足利学校を整備し、学校領とともに孔子の教え「儒学」の五つの経典のうち四経の貴重な書籍を寄進しています。

また、鎌倉・円覚寺から禅僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ、いわゆる校長)に就任させ、学生の養成を行いました。

遠くは、東北や沖縄からも学生がやってきたと言います。

上杉憲実は、仏教は寺で学べばよいとして、足利学校では三註・四書・六経・列子・荘子・史記・文選・兵学・医学といった仏教色を排除した教育を行ったと言う事では画期的と言えるのではないでしょうか?

戦国時代に入ると、曲直瀬道三など、足利学校で学んで戦国大名に仕えるような武将や医者も出てきました。

北関東に進出した北条氏政は、焼けていた足利学校を再興し、3000名も学生が集まったともありますので、まさに大学ですね。

キリスト教の宣教師であるフランシスコ・ザビエルね「日本に11ある大学及びアカデミーの中で、最も大にして最も有名な坂東のアカデミー(坂東の大学)」と記録しています。

1590年、豊臣秀吉の小田原攻めにて、足利学校は衰退しましたが、江戸幕府を開いた徳川家康が100石の所領を寄進し、ある程度保護しました。

そして、足利学校の校長は、徳川将軍の1年間の運勢を占い、毎年、将軍に献上しています。

現在の孔子廟、学校門、杏壇門は、江戸時代の1668年に建てられたものとなります。

しかし、易学中心の足利学校の学問は時代遅れになり、江戸時代後期には図書館程度の利用価値になっていた模様です。

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