http://kaguraden.blog11.fc2.com/blog-entry-126.html 【笠石神社(栃木県大田原市)】より
-案内板-
この碑は、今から約1300年前(西暦700年)、那須国造であった那須直韋提の遺徳をたたえるため、その息子意斯麻呂らによって建立された碑です。文字の刻まれた碑の上に笠状の石を載せた特異な形をしていることから、この地域では「笠石さま」とも呼ばれています。
碑には、八行に各十九字ずつの計百五十二字が刻まれており、その書体には中国の六朝時代の書風が感じられます。また、碑文冒頭には「永昌」という唐の則天武后の時代に使用された年号が用いられているなど、その当時に朝鮮半島の新羅から渡来してきた人々の影響が色濃く残されています。
この碑の保存には、江戸時代の水戸藩主、徳川光圀も関わっています。永井間倒れ埋もれていたこの碑を、旅の僧が発見し、馬頭村小口郷(旧馬頭町)の里正、大金重貞に話したところ、やがてその地域を領地としていた徳川光圀のもとへこの碑の話が伝えられました。そして、この碑が貴重なものであることがわかったことから、元禄四年(1691)碑堂を建立して、碑を安置しました。これが、現在の笠石神社となっています。
なお、多賀城碑(宮城県)・多胡碑(群馬県)とともに日本三古碑として知られています。
-由緒書-
日本三古碑中(本碑と、上野国多胡碑、陸前国多賀城碑)一番古く、一番由緒の深い此の碑が、何時の頃よりか草むらの中に埋れて、世に知る人もなかった。唯、里民は、碑の頭上に笠石があるので、此の石を降したり冠せたりして、雨乞をしたのに効験があったと云う。然るに貞享四年、水戸黄門光圀が馬頭町梅が平の大金重貞から、該碑の話を聞かれ、保全の恩召を以って、元禄四年に御堂を建立し、現在の如く安置し奉ったものである。
明治四十四年早く国宝に指定され、昭和二十七年新国宝となった。
-由緒書碑文訳-
永昌元年巳丑四月、飛鳥浄御原の大宮那須国造、追大壱那須直韋提に、評の督を賜わる、歳庚子に次る、年の正月ニ壬子の日、辰節に弥故す。
意斯麻呂等碑を立て徳を銘すと称云。
仰ぎ惟れば殞公は広氏の尊胤にして、国家の棟梁たり。一世の中重ねて弐照せられ一命の期連に再甦を見る。骨を砕き髄を挑るとも、豈前恩に報ぜんや。
是を以て曽子の家には驕子あることなし。孝を行うの子は其の語を改めず、夏に銘す堯の心を、神を澄して照乾す。六月童子意うに香はこんを助く、徒を作す之大なり。言を合せて字を喩す。故に翼なくして長く飛び、根なくして更に固る。
-参拝記-
笠石神社 鳥居
大田原市役所湯津上支所の東、国道294号笠石神社交差点のすぐそばに鎮座する。
駐車場は5・6台くらいは停められそう。那須国造碑を拝見するには拝観料が必要。
社務所で拝観料500円を支払って、神社へ向かうと呼び止められた。
何やら那須国造碑の説明をして戴けるようだ。
神社の創建についてのところだけを簡単に説明すると、こんな内容だった。
近寄ると災いが起こる石があるという話を聞きつけた円順という僧が、里人を振り切って山へ入り石が碑文であるのを発見した。
石を起こし、馬頭の大金重貞氏に話したところ、徳川光圀公のもとに届いた。
天和3年に佐々木三郎宗淳(助さん)を派遣し調査した。光圀公自らも調査に足を運んだそうだ。そのときに石碑を収めるお堂や境内の整備なども行った。
祭神の直韋提は豊城入彦命の子孫と云われている。
笠石神社 拝殿らしき建物 説明を聞いて、ようやく神社へ向かう。参拝した日は天気の良い日だったが、境内は鬱蒼としていて暗い。那須国造碑の納められている本殿の手前右側には拝殿らしき建物。境内社なのかもしれないが、恐らく拝殿だろう。
本殿の前で小さな狛犬が護っていた。石段も昔のもので、幅が狭く登りにくい。
笠石神社 本殿 那須国造碑は国宝なので撮影禁止。先に賽銭を入れ、二礼二拍手一拝をしてから拝むことにした。
鍵を開けて戴いて、那須国造碑をみると石碑は大きな石の笠を被っていた。なるほど、だから「笠石」なのか。社務所で御朱印と由緒書を戴く。
社務所にはお札や御守以外にも、数多くの那須国造碑に関する資料やグッズが並んでいた。
御朱印は予め書いてあるもので、日付も自分で入れるようになっていた。
笠石神社は石碑を御神体として祀っている珍しい神社だった。
https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/368903 【樹高15メートル、香りも高く キンモクセイ満開 大田原・笠石神社】 より
国宝那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)をご神体とする栃木県大田原市湯津上の笠石(かさいし)神社で、キンモクセイが満開となり、碑を見学に訪れる参拝客らの目を引いている。市文化振興課によると、徳川光圀(とくがわみつくに)の指示で碑堂を建立する際、佐々介三郎宗淳(さっさすけさぶろうそうじゅん)から地元の大金重貞(おおがねしげさだ)に宛てた手紙には碑堂の周囲に松や桜、ツバキ、楓(かえで)などを植えるよう指示があったという。伊藤克夫(いとうかつお)宮司(71)は「キンモクセイを植えた経緯や時期は分からないが、高さは15メートルぐらいだと思う。参拝客も『こんな大きさは見たことない』と驚いている。雨が降ると花が散ってしまうが、今が満開」としている。
碑の見学のため、那須塩原市のJR西那須野駅から貸自転車で18キロの道のり走って来た東京都小金井市、団体職員川上宣彦(かわかみのぶひこ)さん(61)は「大木なのでびっくりした。香りも良く、きれい」と目を見張っていた。
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