https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8E%9F%E5%B1%B1%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E7%94%A3%E5%9C%B0%E9%81%BA%E8%B7%A1%E7%BE%A4 【高原山黒曜石原産地遺跡群】 より
高原山黒曜石原産地遺跡群(たかはらやまこくようせきげんさんちいせきぐん)は、栃木県の高原山にある旧石器時代の遺跡である。
高原山は栃木県北部、日光市と塩谷町、那須塩原市、矢板市にまたがる火山で、最高峰の釈迦ヶ岳は1,795メートルにある。遺跡は最高峰の釈迦ヶ岳(1795m)から東に剣ヶ峰(1540m)、大入道(1402m)と続く大きな稜線の南、標高1440メートルの無名のピークの斜面にある。当時の北関東の森林限界を400メートルも超えていた[1]標高1400メートル超の高地である。高原山で黒曜石の礫が分布することが知られていたのは、北東の甘湯沢、東の桜沢、南の七尋沢であるが、黒曜石原産地遺跡はこのうち桜沢の上にある原石の露頭をめぐって作られた。
なお、高原山周辺は黒曜石だけではなく、後期旧石器時代の前半期に関東地方東部で使用されることの多かった石刃製ナイフの原料となる珪質頁岩を含む緑色凝灰岩の産地でもある。那珂川支流荒川にある高原山の基盤である第三紀中新世の緑色凝灰岩の露頭から採取された石器を旧石器人が古鬼怒川沿いに南は房総半島の嶺岡山地の間約200km以上にも及ぶ長い領域の間を移動しながら使用していたと推定されている。
発掘調査の歴史
高原山の黒曜石が旧石器時代と縄文時代に関東地方で広く利用されていたことは、昭和30年代(~1964年)から知られていた。高原山のうち黒曜石礫の分布が知られていたのは、高原山の北東の甘湯沢、東の桜沢、南の七尋沢である。当初は、これらの沢で旧石器時代の人々が礫を拾い石器に加工していたと考えられていた[2]。
これらの黒曜石の礫の供給源について、2004年(平成16年)の調査で矢板市は、桜沢の支流、北沢において露頭する黒曜石を含む白色層であると推定した。これに対し田村隆らは、産出される黒曜石がどれも小さいため白色層は沢にある大きさの礫の供給源にはなりえないと考え、別の場所にある地層を求めて探索を続けた。田村は、2000年(平成12年)に登山道を整備した矢板岳友会の情報に基づいて[3]剣ヶ峰から大入道までの登山道にあたりをつけた。そして2005年(平成17年)7月24日に単独で高原山にて調査を実施した田村は、剣ヶ峰と大入道の中間位置の斜面に黒曜石の角礫が多量に分布するのを見出し、その中に石器の剥片多数をも発見した[4]。
これを受けて2005年7月30日から8月にかけて石器石材研究会が調査を行い、別の複数地点の遺跡と、多数の石核、石器を採取した。これにより、旧石器時代の黒曜石の石器が上述した沢で採取されたのではなく、上記斜面が旧石器時代の黒曜石の供給源であったこと、および、当該斜面付近で旧石器時代に石核が搬出され、石器も作製されたことが判明した[5]。
2006年(平成18年)からは矢板市教育委員会により5か年計画での発掘調査が実施された。現地は車両が入れず麓から徒歩で片道1時間40分以上かかるものの、数万点の石が人力により運び下ろされた
http://iwatotsuchi.blogspot.com/2010_01_10_archive.html 【栃木県高原山の黒曜石】より
栃木県高原山の黒曜石(9)
スケールが入っていませんが、少しばかりへんてこな構造が在るので敢えて取上げました。この画像の様に、次から次へと露頭の画像を撮りながら、フット写してしまった中に、汚れていて良く見えないけれど、後から気に成る画像が出て来ます。泥に汚れている部分に横に走る気泡の様な構造が見えます。未だ化たまらない状態で噴出を受けた時のスベリ面に出来た気泡群なのかな?等と勝手な想像を膨らませます。この附近の黒曜石は溶岩状では無く、火砕流の中に含まれていると言う事は、火口内或いはもう少し深いところで、黒曜石的に固まりそうな状態で噴火をしたのでしょうからそんな構造が出来ても不思議ではないような・・・何れにせよ素人の言葉の遊びではあります。でも、面白い・興味深い構造です。
1/21追記:この画像は角度が異なりますが、(4) でご紹介した黒曜石と同じものでした。
栃木県高原山の黒曜石(8)
大きな黒曜石の岩片の画像をもう少し見て頂きましょう。私の二つのブログ(もう一つは枕状溶岩)は、一箇所の露頭に対して、一枚の画像の紹介と言うやり方は、勿論それはそれで参考にはなるのですが、私達、素人・アマチュアには判り難いので、もっと沢山の岩片の姿や、その分布状況を見たいと言うスタンスから始めたものですから、少々しつこいくらいに画像が多くなってしまいますが、こんなやり方も悪くは無いと思っています。画像はプロテクトを掛けている訳でもないので自由にダウンロード出来ますし、サイズも基原稿が古くて小さいサイズのものを除いて出来るだけ200KB程度を狙って縮小しています。勿論、必要ならデータを差し上げます。
栃木県高原山の黒曜石(7)
これはかなり表面がガサガサした感じですが、黒曜石には変わりないのでしょう。右手のものは水平方向にガスが抜けたような横に続く気泡らしきものが見えます。少し影になった部分に気泡が開口しているのがお判りでしょうか?背後にも小さな岩片が散在しています。
この黒曜石は特に気泡が多いように感じました。全体が未だ黒いので「軽石」とまでは行かないのでしょう。
栃木県高原山の黒曜石(6)
これも同じ露頭の転石です。割れ方を見ていると基は結構大きかった様に想像出来ます。帰宅後にこの画像を見て、この黒曜石の左側面と上側からの写真を撮らなかった事を後悔しました。その二つの面が割れていないオリジナルの冷却面だったかも知れない!と思いました。枕状溶岩に興味を持って調べて居るので、黒曜石の場合の表面形状にもどうしても興味が行ってしまうのに中々現場では目が行き届きません。アマチュアの限界と言えば他の皆様に失礼かも知れませんが、詰めの緩さに歯軋りです。
栃木県高原山の黒曜石(5)
高原山の桜沢(実際は桜沢と大入道との間の沢筋だと思うのですが)で観察した黒曜石岩片のサイズと分布状態をを幾つか見て頂きましょう。写真を撮影する際には、岩片等は一切移動せず、木の葉等を取り除いただけです。スケールは最小目盛が1cmです。恐らく火砕流堆積物であろう粘土質の中に含まれて居ます。正確な場所はGPSを持って居ないのと、途中案内者も少し迷って居た状態でしたし小生の露頭位置状方が曖昧なのと、途中新鮮な熊のツメ跡が残る樹木を見掛けたので、この場所を探して採集に行く事はお辞めになった方が良いと思います。それに画像でお判りの様にどうしても斑点状の欠陥がありますから、此処まで行かなくても・・・です。桜沢の沢筋を探せば小さなものは見付かります。小生は道路沿いで20cm程度の岩片を幾つか見掛けています。
栃木県高原山の黒曜石(4)
同じく高原山の黒曜石の表面です。クリックして大体3倍程度の画像ですね。少し縦方向に流理模様(縞状構造?)らしきものが観察出来ます。これは前記資料に掲載された顕微鏡画像でも知れ記されています。顕微鏡サイズの斑晶には斜長石・輝石・磁鉄鉱などがある様です。
この山に黒曜石が在るのを知ったのは、南麓の県民の森の資料室。学校平附近の「山の駅高原」にも道路工事中に産出したものが展示されている。採集する人が少ないのか結構大きなものが沢沿いに分布している。
栃木県高原山の黒曜石(3)
当地の黒曜石の表面を幾つか見て頂きましょう。表面が一般的な黒曜石のイメージとは異なり少し欠陥が点在しています。高原山の黒曜石についてはH18に栃木県矢板市教育委員会が纏めた「高原山産黒曜石調査事業報告書」が一番詳しい文献ではないかと思う。
高原山の黒曜石はその産地により少し組成が異なるが、この桜沢附近のものはSiO2が73-77%程度で、顕微鏡サイズの斑晶が有る為、綺麗な貝殻状の割れ目にならないようだ。又、長野方面の産出状況とは異なり溶岩としての噴出は無いらしく、大型の露頭は見付かって居ない。火砕流の噴出物に伴って排出された雰囲気である。
下の白い部分は小生が使っている貼り付けるスケールシート、小さな目盛は半端ですが2.5mm角です。単独行動が多く岩石の素の表情を写し取りたい私のやり方で、背面が糊のラベルシートをエクセルで目盛を作って使用している。画面を拡大して見て頂ければ大体4倍程度の倍率だと思います。
高原山 南東風黒曜石の目覚めたる 五島高資ー 場所: 重要文化財 木幡神社
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