不老不死のお薬

https://garomusica.exblog.jp/25078457/  【纒向市場と不老不死のお薬の巻】より

本日はミムロ山と大物主の関係について纏めていきたいと思います。

さてさて、三輪山は古代ではミムロ山と呼ばれており、現在の様に禁足地ではなかったそうなのです。

禁足地などという制度(?)は、土地に対して所有意識を持った弥生人・大陸からの渡来人の制度で、縄文人にはその様な考えが無かったそうです。

それは何故かと言うと、縄文人の食料が木の実だとか魚だとか獣だったから。

季節が移り変わり食料が取れなくなると、その度に別の場所に移動する生活だったのだそうです。

自由ですねぇ・・・。

だから土地を所有するという習慣が無かったのだそうです。

しかし弥生人が渡来し稲作が始まると、その土地に定着する様になります。

安定して食料の確保が出来る様になったからです。

ですが、それでもまだ土地の所有などという考えは生まれなかった様に思われます。

アレです、以前稲荷神社について調べた時に出てきた、

「春に山の神が里に降りてきて田の神となり、秋に収穫が終ると山に帰る」→伊奈利と稲荷、狐と空海、そして秦氏 その2。

という考えからも分かる様に、神様でさえ土地を所有していませんでしたもんねぇ・・・。

さてさて、大物主さん。

この方の部族はどうもミムロ山に暮らしていた様なのです。

なんでまた山に!?と思うところですが、この場所で管理運営をしていたそうです。

何を管理していたのかと言うと、宇陀・都祁(つげ)で産出される辰砂(しんしゃ)=水銀。→google maps 宇陀市

→google maps 奈良市都祁周辺。

これも以前記事にしましたが、奈良の大仏建立で発生した水銀中毒の原因となったのが、辰砂でした。→伊奈利と(略)、更に荷田氏。本日は秦氏と水銀中毒。

で、何を運営していたのかと言うと、纒向市場です。→google maps 纏向遺跡

私はgoogle earthで見ていますけれども、これ面白いですねぇ・・・。

前方後円墳が可愛いです。

ところでこの辰砂・水銀、これを大陸の人達はわざわざこの日本まで購入しに来ていたのだそうです。

辰砂・水銀はもちろん大陸でも採れる訳です。

それなのに何故この島国まで大きな危険の伴う海路でわざわざ買い付けに来ていたのか。

それは不老不死のお薬だと信じられていたから。

そしてその最上級は蓬莱山で採れたもの、と言われていたからなのです。

明日も続きます。

https://garomusica.exblog.jp/25081251/  【古代(略) 21 蓬莱山と不老不死とうっかり徐福さんの巻】より

蓬莱山の続きです。はー、不老不死の薬ですよ、水銀が。今の私には不老不死の薬よりもガスター寄越せって感じですけどね。で、水銀を不老不死の薬と位置付けたのが道教なんだとか。なんでも水銀を主薬とする不老不死の処方は700を超えるとされ、処方の研究を練金道(術)と呼び、その成果の調合薬を「金液丹(きんえきたん)」と呼んだのだそうです。

その結果、紀元前200年頃から10世紀までに歴代の皇帝11人が水銀薬禍とみられる死に方をしているのだそうです。

この数字は多いのか少ないのか分かりませんね・・・。

と書いたところ、皇帝という立場の人間は、水銀中毒で死ねるほど平穏に生きられる事自体が難しかったのだ、だそうです。

なるほど、国と命を狙い狙われの商売ですもんねぇ。水銀中毒で死ねる事自体少ないのか・・・。死人を出しても衰えの知らない水銀信仰。

なんと!薬効が無いのは大陸産の水銀の質が悪いから!と考えられる様になったのだそうです。なんて都合の良い考え方・・・。で、最上級の物は蓬莱山のもの、その代用品として宇陀産の辰砂を、となったのだそうです。

蓬莱山と言うのは、中国、渤海にあったという伝説上の神山で、神仙(しんせん=仙人)が住み、不老長寿の薬があると信じられていたそうです。

蓬莱山・瀛州(えいしゅう)山・方丈山という山3つで三神山と呼ばれていました。

古代中国の歴史書『史記』にはこうあるそうです。

「三神山は渤海の中のあまり遠くない処にあるという。そこに行った者の話では、三神山には多くの神仙が住み、不死の薬がある。物や禽獣は皆白い色をしており、宮殿は金銀で出来ているという。斎や燕の国王が使者をやって三神山を探させたが、船がそこに着きそうになると風で引き離された。

三神山は遠くから見ると霧のようだが、近づくと水面下にあるように見える。

そこまで行くと風が船を引き離して、到着出来た者は誰もいない」もうね突っ込みどころ満載ですね。

「そこに行った者の話では」としながらも、「到着出来た者は誰もいない」とか言っちゃってますし。

「三神山は遠くから見ると霧のようだが、近づくと水面下にあるように見える。」っていうのも、これは蜃気楼の事なのだそうです。

蜃気楼を見て不老不死の薬がある場所だと言って、皇帝に多額の金を出させ船出する。

愚かですけど、この愚かさは現代に通じるものがありそうですね。

私もiPhone5が全然現役なのに、iPhoneSEのローズゴールドを仮予約しちゃって・・・。

壊れるまで使う主義で来たのに、ついつい目新しくって、色もかわいいし・・・。

4インチサイズがちょうど良いし、あー、もうどうしよう〜。

まぁそれは良いとして、今は不老不死問題。

元々あった東シナ海を渡っての日本との交易、それと蓬莱山が結びついたのが宇陀産の辰砂・水銀だったのだとか。

もちろん、辰砂・水銀の役目は不老不死の薬だけではありません。

近年だと体温計・蛍光灯・水銀灯・朱肉・水銀電池・赤チンだとか。

他にも殺菌・消毒作用を利用したシラミ取りだとか梅毒の治療薬だとか。

それにおしろいにも使われました。

古代では錬金術の他に、顔料して使われたそうです。

古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使われたり、漆器に施したり朱墨の原料になったそうなのです。

『魏志倭人伝』の邪馬台国の項にも「其山 丹(辰砂)有」と記されているのだそうです。

ちなみに『魏志倭人伝』の約400年前に、秦の始皇帝に命を受けて不老不死の薬を探しに来た人物に、徐福さんという方がいらっしゃいました。

そう、あの人です。

以前、一時的にスーさんに読むのを制限されていた本、『失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎』の人です。

ここでもなんとか物部氏と繋がりましたねぇ・・・。

あれ?ちょっと待って!?

今やっている内容は邪馬台国の時代の話ですが、徐福さんはその400年前?

あれ?大物主さんの時にはユダヤの人がとっくに入ってたって事ですよね?

待てよ、私が描いたユダヤ人顏のおーくにさんって、どうなるんですかね?

この記事を書きながら今気がついたんで、どうしたら良いのか分からないのですが。

あっれーーー!(@_@)

困ったな、どうするの?コレ。

スーさん!とりあえずスルーしちゃっても良いのですかね?

混乱したところで、また明日です!