死の恐怖に関する考察

Facebook・内山 真理子さん投稿記事「死の恐怖に関する考察」

先日、クライアントさんから死の恐怖にいかに対応したらいいかというご質問を受けて、色々思うところがありました。

私個人としては、死ぬまでに苦しかったり痛かったりするのは恐いけれど、死そのものに対する恐怖というのは昔からなくて、世の中の結構多くの人が死ぬのが恐いと言っているのがどうにも不思議でした。            ・

また、セルフワークで出てきたある人生で、死んでいく瞬間の経過を刻々と経験したこともあるのですが、自分の体が徐々に機能を停止していく様や、この人生にもう二度と戻って来られない、明日の予定も、来年の約束も、もう果たすことができないという、何とも言えない気持ちも湧いてきましたが、そこに恐怖はありませんでした。            多くの人は、本当のところ、一体死の何に恐怖を感じているんだろう?と思って、Facebookのお友達の皆さんに 死ぬことは恐いですか?恐いとしたら、死の何がどんなふうに恐いですか?と質問を投げかけてみました。             ・

ご回答くださったみなさま、ありがとうございました!心から感謝申し上げます(-人-)  結果、ざっと見ていくと、一番多かったのはやはり死ぬまでに苦しむのは恐いけれど、死そのものは恐くない、という答えでした。            ・

次に多かったのは、死は全然怖くない!という方たち。(生きてる方が恐いとか。笑)  次は、自分が永遠に無くなる恐怖でした。

個人的には、なんで自分が無くなることが恐いのか腑に落ちないのですが、自分がないのなら、苦しむ自分も恐怖に慄く自分もなく、自分が誰かの心から忘れられていく淋しさや孤独もないわけで、恐い理由がないと思うのですが、これは実際に私もその状態になってみないと自分がどう感じるかはわかりませんね。            ・

幼少時に身近な人が亡くなって火葬されたときにひどくショックを受けられたという方も複数いらして、個人とのつながりが深いほど、強烈な印象が刻まれるようです。      余談ですが、よく意識の目覚めとか悟りの延長線上で語られることのある「無」とか「空」とかの言葉。            ・

ヨーガの大家、成瀬雅春先生によると、「無」と「空」は明らかに意識の感覚が違うというようなことをご著書の中で書いておられて、このくらいの達人になると、概念的に語られることの多い意識状態も、厳密に体験されるのだな~と「無」も「空」も体験したことのない凡人の私は、感嘆しきりだった覚えがあります。             ・

「無」を体験できるということは、そこにそれを体験している意識があるわけで、「自分が無くなってしまう」と感じる体験も、実際のところは「自分」と考えるものはなくなるけれど、別の何かは継続してあるものなのかな、と思いました。

その次は、成人前のお子さんをお持ちの方でお子さんを残していくこと、彼らが嘆き悲しむのが恐いと。その方たちに、ではお子さんが成人されていた場合はどうですか?とお聞きしたところ、それなら恐くない、とのことでした。             ・

親御さんは、何としても子供を育てなければ!と必死の思いで子育てされてるんだな~と胸が熱くなりました。            ・

やり残したことがあるのも嫌というのも、これと同じ括りでしょう。

後は順不同で、大切な人と離れるのが恐いとか、他人に迷惑かけるのがこわいとか、自分の存在を忘れてしまわれるのが恐い、未知だからとにかく恐い、死後の世界が地獄だったら恐ろしい、することなさそうでつまらなそう、などなど。             ・

また、熊のうじゃうじゃいる東北の山で日没寸前に遭難しかかったという方からは、遭難状態で闇が迫ってくる恐怖という生々しいお話が聞けました。             ・

闇が死を象徴するものとして迫って来ていたとのことだったのですが、個人的には、闇そのものは恐怖だろうか?という疑問も浮かんできました。             ・

以前、目を開けても閉じても真っ暗な完全な暗闇の環境で瞑想したことがありますが、別に恐怖はなかったです。            ・

安全な空間で、限られた時間内だと分かっていたとしても、だとしたらなおさら、闇自体は恐怖ではないんじゃないか、という気もします。            ・

もしそうだとしたら、死への恐怖の本質は、別のところにある可能性もあるように思えます。

未知への恐怖というのも、私は個人的に、全く分からないものに対しては反応できない、つまり恐怖すら湧かないで???ってなると思うので、未知だから必ずしも未知を恐怖に感じるはずとは思っていないのですね。

生物的な本能だと言っても、それは生物発生以来DNAに刻まれた様々な経験の蓄積データから、未知に何かしらを投影して自分に害をなすものかもしれない等と反応しているだけだと捉えています。

まぁ、道行がわからないと難儀するという恐れは昔からあったわけで、そういう不安を解消するために死後はこうなっていてこんな風なことが起こってくる、というガイドブック的な教えや儀式なんかも、世界各地でありました。            ・

今だったら、「地球の歩き方」ならぬ「死後の世界の歩き方」なんて一冊にまとめておいてくれたら、結構売れるかもしれません。笑            ・

いずれにせよ、今回のアンケートはとても興味深かったです。

コズミックホリステック医療・教育企画