https://www.city.kanuma.tochigi.jp/0112/info-0000001624-0.html 【加蘇山神社】 より
鹿沼市上久我にある神社。旧県社。祭神は磐裂命・根裂命・武甕槌男命、石裂大権現あるいは石裂山と呼ばれ古来山岳信仰の対象として信仰されてきた。標高879メートルの石裂山頂に摂社月山神社が、山の北側中腹に奥社が、山麓にはもと下宮であった本社がある。「下野国誌」には山の中腹に2か所の岩窟があって石裂・根裂神を祀るとあるが、これは南麓にある粟野町の賀蘇山神社のことであろう。社伝によれば、神護景雲年間に勝道上人が当山を開いたとする
「三代実録」元慶2年9月16日条に「下野国賀蘇山神社」に従五位下を授くとあるが、それが当社と粟野町の賀蘇山神社のいずれを指すかは決定しがたい。「皆川正中録」には、弘仁年間に空海が登山して天照大神を加え祀ったために、石裂山のことを・「大日の山」と称したとする。山頂の月山神社は天慶8年の建立と伝え、永承年中に源頼義が武具を奉納して戦勝を祈願し、下って天文(正か?)年間には皆川広照が深く信仰して神馬などを寄進したという(鹿沼市史)。永禄年間に久我常真がこの地を占拠して村名も久我と改め、社領なども横領したが、同8年に滅亡した。その際に社務所のほか古来よりの神職家である湯沢氏5家も兵火にかかり、神宝・古文書類が失われたという(旧県史3)。その後承応年間に、一品親王宮が日光山に入山した際、月山神社を再建し神職家を保護し再興した。文化11年、山上の本社に参詣するのが困難な人々のために、山麓に下宮を建造し、また、そこに神楽殿などの諸社殿を建立(同前)。明治維新に際して、石裂加蘇山神社を正式名称とし、明治10年郷社に列した。明治44年、従来の本社を奥社、下宮の地に新しく本殿を造営して本社とした。大正4年に県社となる。奥社への参道途中にある2本のカツラの巨木は千本桂と呼ばれ、樹齢1,000年(県天然記念物)。このほか山内には神木とあがめられている巨木が沢山ある。
(「角川日本地名大辞典」より)
https://shinto-jinja.jp/?p=1027 【石折神(いわさく)・根折神(ねさく)とは?|磐裂神・根裂神】 より
石折神(いわさく)・根折神(ねさく)は、イザナギが火神・火之迦具土神を斬った十拳剣の剣先にしたたった血から生まれた神です。磐裂神、根裂神、いわさくのかみ、ねさくのかみ、イワサク、ネサク、などと記されます。
石折神(いわさく)・根折神(ねさく)とは
石折神・根折神が生まれた由来
伊邪那美神(イザナミ)は神生みの時に、火之迦具土神(ヒノカグツチ)を生むと同時に火傷を負ってしまい、それがもとで亡くなってしまいます。これを嘆き、怒った伊邪那岐神(イザナギ)は、十拳剣(とつかのつるぎ)で火之迦具土神の頸を斬り落とします。このとき剣先にしたたった血から生まれたのが、石折神(いわさく)、根折神(ねさく)、石筒之男神(いわつつのおのかみ)です。
このときに鍔元(つばもと)の血からは、甕速日神(ミカハヤヒ)、樋速日神(ヒハヤヒ)、建御雷之男神(タケミカズチ)が生まれました。この三柱は雷神とされています。そして、刀の柄から指の間に垂れしたたった血からは、闇淤加美神(クラオカミ)、闇御津羽神(クラミツハ)が生まれました。この二柱は谷間の水をつかさどる神とされています。
岩をも裂く石折神
石折神は、磐裂神(いわさく)とも表記されることから、磐根(いわね)を切り裂くという意味が込められているという考え方があります。転じて、岩を裂く神であり、また、岩を裂くほどの切れ味をもった剣の威力そのものを神格化した存在であるといわれています。この説にしたがえば、石折神は剣の神ということもできます。
木の根を切り裂く石折神
根折神も同様で、堅い木の根すらも切り裂くほどの威力という意味となります。しかしながら、磐石(いわむら)の神である石筒之男神とともに生まれたことを考慮するなら、この二柱の神も素直に磐石の神であったと解釈することもできます。つまり、生命の源である血が磐石に飛び散り、確固たる神格を得たとする考え方です。
火と水を使い刀剣を作る流れと神話のつながり
石折神・根折神の誕生に続いて、建御雷之男神など三柱の雷神、闇淤加美神など二柱の水神が次々と出現します。その順序は、そのまま刀剣をつくる順序を述べたものともいわれています。つまり、鉄鉱を火で焼き、火花を散らして鍛え、できた刀剣を谷間の水で冷やす様子が記されているという考え方です。
「折(さく)」が意味するものは?
石折神と根折神の神名にある「折(さく)」とは、凹凸を意味する古語の「サクミ」に通じるものとして、岩の凹凸、転じてそこに飛び散りたまった血から、この神が生まれたと解釈しています。
石折神(いわさく)・根折神(ねさく)の神格
剣の神
生命力の神
石折神(いわさく)・根折神(ねさく)のご利益・神徳
生命力向上
石折神(いわさく)・根折神(ねさく)の別の呼び方・異称
磐裂神
根裂神
石折神(いわさく)・根折神(ねさく)を祀る主な神社・神宮
加蘇山神社(栃木県鹿沼市)
赤星神社(愛知県江南市)
御逗子神社(奈良県橿原市)
石折神(いわさく)・根折神(ねさく)と関わりが深い神々
石折神(いわさく)と根折神(ねさく)は、イザナギ・イザナミの神生みに関わる神々とつながりがあります。
https://shinto-jinja.jp/?p=1031 【建御雷神(タケミカヅチ)とは?|武甕槌神・建布都神】より
建御雷神(タケミカヅチ)は、天照大御神によって高天原から葦原中国に遣わされ、力自慢の国津神を諏訪へ追いつめて屈服させた武神です。その呼び名は多く、建御雷之男神、タケミカヅチノオノカミ、たけみかづち、武甕雷男神、建雷命、武甕槌、布都御魂神、建布都神、豊布都神、鹿島様などとも呼ばれます。
建御雷神(タケミカヅチ)は茨城県の鹿島神宮の祭神で、一般には「鹿島さま」と呼ばれて広く親しまれています。鹿島神宮から直線距離にして十数キロの隣地に祀られる千葉県の香取神宮の祭神、経津主神(ふつぬしのかみ)と並び称される剣の神、武神としても知られています。
建御雷神(タケミカヅチ)の神名の由来
神名の「建(たけ)」は勇ましいという意味、御雷(みかづち)は「みいかづち」の「い」を略したもの、「いかづち」は「厳(イカ)」の(ツ)「神霊(チ)」、つまり勇猛に鳴り響く厳しい神霊で、雷電の神をあらわしています。
建御雷神(タケミカヅチ)の誕生
建御雷之男神も石折神(いわさくのかみ)・根折神(ねさくのかみ)と同じように、伊邪那岐神(イザナギ)が火之迦具土神(ヒノカグツチ)を斬り殺したとき、剣の鍔(つば)に溜まった血が湯津石村(ゆついわむら)※磐石(いわむら) に飛び散り、そこから出現しました。
日本書紀にも同様の記述がありますが、そこから生まれるのは経津主神(フツヌシ)です。古事記では建御雷之男神が、日本書紀では経津主神が重視される傾向があります。
経津主神(フツヌシ)は、「香取さま」の名で知られ、建御雷之男神と並び称される武神です。香取神、建布津神、豊布津神、布都御魂神、斉主神、伊波比...
国譲り神話における建御雷神(タケミカヅチ)の活躍
建御雷之男神は、古事記では大国主神(オオクニヌシ)の国譲りの場面に登場します。
高天原の主神である天照大御神(アマテラス)から特命を受けて、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)とともに葦原中国に遣わされます。そこで、国譲りに最後まで抵抗した力自慢の国津神で、大国主神の御子である建御名方神(タケミナカタ)をみごとに打ち破ります。さらに信濃の諏訪まで追いかけ、とうとう服従させることに成功します。
つまり建御雷之男神は、葦原中国の征服を画策する天津神たちの切り札だったのです。
大国主神(オオクニヌシ)は、出雲の支配権を須佐之男命から譲り受け、葦原中国の国作りを完成させた後に、天孫降臨によって国を譲た国津神です。 ...
建御名方神(タケミナカタ)は、国譲りを迫る建御雷神に力勝負で敗れ、諏訪へ追いつめられてしまう国津神です。諏訪大社の祭神として知られています。...
建御雷神(タケミカヅチ)の異称
建御雷神・建御雷之男神(タケミカヅチ)は別名を武甕槌神、建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)といい、古事記では石筒之男神(いわつつのおのかみ)とも同一視されています。
建御雷神(タケミカヅチ)が携える神剣の魂
建御雷神が携える神剣の魂をとくに、佐士布都神(さしふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)、布都御魂(ふつのみたま)としています。ちなみに「フツ」というのは、物を断ち切るときの擬態語です。建御雷之男神の神剣は、東征中に熊野で難局に直面した神武天皇に与えられることになります。
藤原氏の氏神に
藤原氏が、一族の氏神として建御雷之男神・武甕槌神を勧請した地に祀られた社が、のちに春日大社となりました。
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