https://blog.goo.ne.jp/tak4088/e/193db4ad719d5ba831d2fea410644876 【詩集「蕪村との対話」 冨上芳秀 (2016/01) 詩遊社】 より
第10詩集。101頁に81編を収める。
すべての作品は1頁に収まる長さの散文詩で、9編がひとつのセットになっている。セットごとに上田寛子の挿し絵が挿まれる。この組み立て方は詩集「真言の座」や「かなしみのかごめかごめ」と同じだが、今回の詩集の特徴は作品ごとに蕪村の句が添えられていることである。
たとえば、「行商人」には「商人(あきんど)を吼(ほゆ)る犬ありももの花」の句が付けられている。私は桃の小径を歩いて「新鮮な春」「個人の秘密の春」を売って歩いている。若い女とのやりとりはふわふわとしているようで、夏の盛りの午後、熟した水蜜桃にガブリと齧りつくと生ぬるい汁が口のまわりからあまく滴り落ちた。枕元の闇で犬がしきりにほえていたが、昼だったか、夜だったか、夢を見ていたのに違いない。
「たったひとりの真夏」に添えられた蕪村の句は「行行(ゆきゆき)てここに行行夏野かな」である。悲しいことがあった夏に私は丘の上から坂を下り、野原を歩いている。真っ赤な太陽が狂人のように走り回り、明るくカラ元気のような時間が流れていたのである。
先日、私の娘は自殺して、私は死んだ魚のような家族と灰色の粘土のような葬式をすませた所だった。私はどうでもよいのに何故か元町を探して必死になって歩いていたが、元町はどこにもなかった。深い緑色の暑苦しいさびしいたったひとりの真夏の野原だった。
蕪村の句に惹かれて作品が作られたのか、あるいは作品に呼応する蕪村の句を付けて作品世界の広がりを意図したのか。いずれにしてもこの作品では、作品と句の引き合い方でその世界の広がりを増すことに成功していると思えた。面白い試み。
http://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-4872.html 【冨上芳秀詩集『真言の座』 『かなしみのかごめかごめ』 『蕪村との対話』 『恥ずかしい建築』】 より
『詩遊60』 『詩遊61』 『詩遊62』・・・・・・・・・木村草弥
半月ほど前、初めて冨上芳秀の詩を紹介したばかりだが、今回、詩集などが、一度にドカッと贈られてきた。
私の紹介が認められたものと考えて嬉しい次第である。
今回は本の数か多いので、ほんのつまみ食い程度しか触れられないと思うが、お許しを。
そして、冨上芳秀の詩」を「カテゴリ」にまとめることにしたので、前回のものも含めて設定し直したので、ご了承を。
さて、本論である。
現代詩作家というと、とかく日本古来の文学、文芸の「伝統」から「切れたがる」人が多い。
つまり「和歌」「短歌」「俳句」「川柳」などの差別、切れる、のみを強調することである。
日本人として生きてきて、そんなことが果たして可能なのか、否である。
良識ある詩人たちは、そんなことは、しなかった。
今回いただいた本を見てみると、冨上芳秀氏は、そんな人たちとは立場が違うようである。
詩集の題名を見るだけで、それが分かる。 「真言」「蕪村」など、作者は、これらを、よく学んで居られることが分かる。
『真言の座』では、難解な仏教の定義「真言」を、見事に噛み砕いて「九界によって構成された混沌としたメーズ」として把握して作品が創られている。
「真言」は、サンスクリット語の「mantra」を漢訳したものである。
最初はバラモン教の聖典である『ヴェーダ』に、神々に奉る讃歌として登場し、反復して数多く唱えることで絶大な威力を発揮すると考えられていた。
後に、バラモン教に限らず不可思議力を有する呪文をことごとく「mantra」というようになった。
バラモン教や非アーリヤ系の土着の信仰の「mantra」が仏教に採り入られて、治歯・治毒・悪鬼羅刹からの護身・延命など現世利益のための「mantra」が用いられるようになった。
この「mantra」を龍樹や玄奘は、「呪文」または「神秘的な呪文」の意味で「呪」・「神呪」等と訳し、善無畏や不空は、「仏の真実の言葉」の意味で「真言」、「仏の秘密の言葉」の意味で「密言」等と訳した。
この本から一つ詩を引いてみる。
誰もいないさびしい町で、私は初めて死と出会った。そっと私の横に滑り込んできた青白い死の身体は冷たく冷え切っていた。
それ以来、死はいつも私の側にいた。・・・・・
尖った乳房をこすりつけてくる死の柔らかい耳を咬みながら、「もう別れよう」と囁いたが、死は自信たっぷりに嫣然と笑った。
「いいわ、別れても。でも、私はけっしてあなたを忘れない」と。 最愛の人
題名が作品の末尾に置かれるのが、独特である。
どの詩集でも、そうだが、上田寛子による挿絵が秀逸である。
この本は八個の絵が入っている。
この詩集は2014年1月1日に刊行された。 最近は1月1日発行が続いている。 これも特異なことである。
『かなしみのかごめかごめ』である。
この頃、作者の娘さんが自裁されたという。そこから「かなしみのかごめかごめ」の題になっているという。
かなしみのかごめかごめ
地獄の鐘が毎朝、毎晩カンガン響いてとてもこわいのですとあの子が言いましたか。そうですか。あの子がかごめかごめの話をしましたか。体育館で生徒たちがバスケットボールをしています。いつまでたっても鳥は籠からは出られません。鳥は永遠に愛を失くした恨みを歌っています。・・・・・
そうしてみんな死にました。・・・・・後ろの正面だぁあれ?と尋ねる人も、もう、だれもいません。此の世にはぽつねんと両手で目隠しをして、何も見ようとしない鬼が一匹、蹲っているばかりでした。もう周りにはだれもいませんでした。そうして鬼はひとりで死にました。
この詩は、創作ではありながら、娘さんの死に関連するものだということは確かだろう。
作者の、辛い記憶に結び付く一篇と言っておく。
この本は2015年1月1日に刊行された。
『蕪村との対話』である。
この本の「帯」裏に、こう書かれている。
<蕪村の俳句には特異なポエジーがある。
特にシュールレアリズム的な魔的で不気味な魅力を感じながら蕪村とは異質な私自身の世界で蕪村と対峙しようと思ったのである。
・・・・・ここ十年ほど私は無謀ともいえるこの実験を繰り返してきた。
蕪村という時代を超えた偉大な詩人と対話することで私は自分の姿を少しは見ることができたのではないかと思っている。>
作品を一篇引いてみる。
月光西にわたれば花影東に歩むかな (蕪村)
猫時計は昼も夜も眠っています。真っ赤なトマト、まともなマトン。どうやら背中に傷を負ったらしい。
昨日、観音講に行った時に女に舐められたからな。酒を飲んでぶっとんじやったんだ。死ぬまで沼でチリヌルオワカ。
・・・・・不精な蕪村。今朝の電話にはまいったな。変わらぬ古女房は歳月の猿。・・・・・
町をさっそうと長いコートで身を包んで大股に歩いていた。その下はスッポンポンだったのには笑ってしまったな。
また、はじめての時みたいに皮を剥いで新鮮に食べた。 歳月の猿
古池に草履沈ミてみぞれ哉 (蕪村)
老いを追い人生の枯野をさまよう。ウリウリガウリウリニキテウリウレズ、ウリウリカエルウリウリノコエ。
笈を背負い人性の町で鯖を読む。売れませんねえ。人生の晩年の重い思いを売り売り、笈を負い人生の涸れ、彼の悩を収まんように。
ウリウリガウリウリニキテウリウレズ、ウリウリカエルウリウリノコエ。
生いを蔽う新生の華麗の能に産婆さま酔う。老いを負い人世の加齢の脳をさまよう。 老いのニガウリ
「言葉あそび」が秀逸である。詩人の極致である。 上田寛子の絵も、ますます冴えている。
この本は2016年1月1日に刊行された。
『恥ずかしい建築』
この本は、散文詩の形ではなく、普通の「行分け」の詩になっている。
この本の「帯」裏に、こう書かれている。
<建築という言葉は通常の場面では恥ずかしいものではない。しかし、状況によっては、恥ずかしいと感じさせる言葉にもなる。
・・・・・言葉は色々な側面からアプローチしなければ、その実態をつかませない鵺のような存在である。
・・・・・言葉の足の裏をくすぐって笑わせたいと思った詩が集まってきたように思う。>
この本の詩を一篇引いてみる。
アニマルごっこ
雨の降るあばら家で
あなたと私は
アニマルごっこをしています
明日の朝は雨が止んで
朝顔の花
青い花
赤い花が咲いているでしょうか
アボガド、アオクビ、アホウドリ
アカチャン、アリサン、アシタノシアワセ
アセボ、アオムケ、アンパンマン
青虫は雨の紫陽花を登って
虹の橋を渡り
朝日を浴びて
青空の向こうに
蝶となって飛んでいきました
浴びる浴びる愛の雨
アニサン、アネサン、アカネサス
あなたと私のアニマルごっこ
他に「ガムを噛むアメリカ人」という作品があるが、作者の愛着のある詩らしいが、掲出した図版で読み取れるだろう。
これらはいずれも見事な「言葉あそび」である。
この本は2017年1月1日に刊行された。
詩遊は、作者が講師を務める大阪文学学校の卒業生らが、作品を発表する場として用意されているようだが、この冊子の巻末に「詩についてのメモ」という欄があって、恵贈された詩集などについて書かれている。
作者が先年、病気になられたようで、本がたくさん溜まっているらしい。
62号までで、新延拳詩集2018/10/30までのものに言及されている。
ここに載る作品については、勝手ながら省略させてもらう。
たくさんの本を有難うございました。
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