http://a-un.art.coocan.jp/za/essay/ku.html 【宇多喜代子作品をめぐって
(『ひとたばの手紙から』『記憶』『円心』)】 より
■3 (句集『円心』/『宇多喜代子俳句集成』)
『宇多喜代子俳句集成』(KADOKAWA、2014年)は、これまでに刊行された句集に加え、『記憶』(角川学芸出版、2011年)以後の作品168句を第7句集『円心』が、逆順に収められています。
元日と一月一日とは不同 宇多喜代子
引用の一句は、『円心』の巻頭であり、『集成』の巻頭です。句の構造は単純です。しかし、句として単純でないことはいうまでもありません。単純さとそうではないありようの間を往復するような、そんな一句。俳句から食み出ながらも俳句に留まろうとするかたちも、なかなか刺激的です。
牡丹雪ひととき天地さかしまに 隣国の隣国に咲く冬すみれ
乳母車春の宙より突進す 返信にさくらの咲きしこと少し
全円を描く宿題が夏休み 一身をしずかに運ぶ初詣
獅子舞の始めと終りぐらりと首 切株を数え一月二月過ぐ
白玉の白のしみじみ昼の客 夏の朝天動説をかたくなに
またここへ戻ると萩に杖を置く 洋上の一個の月を分け合いぬ
これしきの春を生きるにこの力 一匹の蝌蚪にかしずく膝頭
いま飲んだ水を涙に夏夕べ 秋深く傘の内なるひとりかな
幅広の春着の縞目立ち上がる 白足袋の白に一日永かりし
白菜一山いつしか仇のように割る わが地球きみの地球や薄氷
5句目は「円心 三十句 三月十一日以降 原発を円心として」と詞書のある30句のうちの1句、11句目、12句目は「月下 二十四句」と詞書のある24句のうちの2句。
『円心』から惹かれた作品を20句ほど引きました。たとえば、8句目。「一月二月過ぐ」という時間の経過のありようが、「切株を数え」というたった8音で繊細に表現され、深く、かつ鋭く読者に届きます。たとえば、11句目。「またここへ戻る」という意志と願いが、「萩に杖を置く」という描写で美しく表現されています。たとえば、9句目と18句目。ともに「白」が鮮やかです。似ているようにも見えますが、「の」と「に」の違いが、それぞれに別のかたちを与えています。
以前、『記憶』について、「ことばの自在さは、作品の多様さであり、多様な作品は、しかし一定のありようの核をもっています。それが、この一冊の確かさだと思います」と記しました(■2)。その印象は変わりません。そしてまた、「身体が無防備なほど、おそらくことばがリアルなのではないか」とも記しました。無防備は、勇気のいる構えです。この勇気が、宇多さんの作品の本質なのではないでしょうか。
『宇多喜代子俳句集成』(KADOKAWA)
■2 (句集『記憶』)
宇多喜代子さんの句集『記憶』(角川学芸出版、2011年)を読み返しながら、ことばの自在さに惹かれます。
寒卵年寄りはまた年をとる 宇多喜代子 だれにでも見える高さの春の鳶
木の家の鳴るはどの木か春夕べ 花の散るまでの日数に疲れたる
色淡き順に運ばれ夏料理 白鳥は真白と嘘のうつくしき
幾人の掌わたる蕗の薹 八月の赤子はいまも宙を蹴る
深呼吸止めるとこの秋も終る 梟と昼の殺気を分ちあう
花茣蓙に長方形の夕方よ 戦争の話もすこし昼花火
棒とその影をたしかに夕立あと 日盛りは西と東が入れ替る
一村の水吸いつくす茄子の花 おずおずと夏川に入る膝頭
水を飲むための自力や日雷 奥会津奥へ奥へと立葵
長生きをしたような日の夏霞 秋の風石に目鼻の見えはじむ
ことばの自在さは、作品の多様さであり、多様な作品は、しかし一定のありようの核をもっています。それが、この一冊の確かさだと思います。
「振り返れば一句の背後に、消した百語千語や、時のひろがり、おもいの深みが蘇ってきます」。あとがきに、宇多さんはこう記しておられます。すこし理屈っぽい言い方になりますが、「消した百語千語」「時のひろがり」「おもいの深み」が同じ水準にあることが、宇多さんの作品の豊かさなのだと思います。
私たちの身体は、まず具体の現実を経験し、その経験によって変化した身体がことばを呼ぶ。そのとき、身体が無防備なほど、おそらくことばがリアルなのではないか。この一冊を通して、そんなことを思いました。
「一村の水吸いつくす茄子の花」「水を飲むための自力や日雷」「奥会津奥へ奥へと立葵」。大きな大きな身体が生み出した作品だと思います。
宇多喜代子句集『記憶』(角川学芸出版)
■1 (『ひとたばの手紙から』)
1年ほど前に上梓され、ゆっくりゆっくり読み進めないともったいないと思いながら、あっという間に読み終えてしまった一冊、宇多喜代子さんの『ひとたばの手紙から-戦火を見つめた俳人たち』(角川ソフィア文庫、2006年)のご紹介です。
ひとたばの手紙とは、ひとりのアメリカ人女性から託された、硫黄島で戦死した日本兵の遺品。アメリカでそれを預かった宇多さんは、帰国後、「宮崎県椎葉村」とのみ書かれた差出人の住所をたよりに遺族を探します。結局探し出せず、しかしこの話を聞いた邑書林の島田尋郎さんが、戦後50年を機に宇多さんの戦争を書いておいてはどうか、と提案をなさいます。こうしてできたのが、邑書林版の『ひとたばの手紙から』。1995年のことです。そしてこの一冊がきっかけになり、その後遺族が見つかりました。関わった方々ひとりひとりの思いが不思議な縁を繋いだのです。
さて、この一冊で宇多さんは、少女として体験した戦争を綴るとともに、俳人たちがいかに戦争と向き合ったかを考察しておられます。「非戦闘の場にあったものが、刀や銃という人を殺傷するための道具を持って出ていった人に対して発してはならぬ問いというものがあるとするなら、唯一「あなたは人を殺したか」であろうと、私はいつしかそう思うようになっていたのである」。読みはじめてしばらくして、この静かな、しかし確かなことばに出会って、私は衝撃を受けました。内側に立つ、ということだと思います。内側に立ちながら、しかしそこに留まるのではなく、必要に応じて外側と内側を往復する。こうした困難な位置を選ぶ覚悟がここにはあります。つまり、一冊を支えている力です。
「今でも私は、この尾崎椰子雨の俳句への理解は一流であったと思っているし、市井の目利きの力が作品を篩(ふるい)にかける役割を果たしていた時代を、まことに「よき時代」であったと思っている」。また宇多さんは、このようなことばも書いておられます。初学の頃、俳句にとって何が大事かをじっくり教えてくださったという尾崎椰子雨さんのことです。豊かな一冊です。
宇多喜代子著『ひとたばの手紙から-戦火を見つめた俳人たち』(角川ソフィア文庫)
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