宇多喜代子の句

https://gendaihaiku.gr.jp/about/award/association_award/page-4561/  【第29回 宇多喜代子】より

昭和57年度(1982)第29回現代俳句協会賞 宇多喜代子(うだ・きよこ)

昭和37年「獅林」(遠山麦浪没後、前田正治主宰)に入会。同誌同人を経て、昭和45年3月に創刊された「草苑」(桂信子主宰)に入会。同誌同人。昭和56年より、同人誌「未定」(代表沢好摩)に参加。

著書、句集『りらの木』。※略歴は受賞時点のものです。

第29回現代俳句協会賞受賞作  宇多喜代子

鳥のほかなにも来はせぬ辻の春            白鷺と水のあわいに病む乳房

竹馬にのぼりて忘る総理の名             羅を抜けて棗の木にもたれ

白雲の下に鬱気の蟹といる              ねむりつつ深井へ落とす蝶の羽

梅雨の木を父より先に伐り倒す            弾丸の穴より眺む桃の国

優柔な魚であるから尾はしろがね           寂しさは書かず鏡を磨く夏

雄ごころと重なりて立つ春の杭            帯を解く音週末の萍に

いしぶみの表裏に雨意の百千鳥            直角に煙の曲る女の前

便り出てくる壺からも木槿からも           丘の木にまぎれて吃る夏鴉

まっくろな目ゆえ鼠は殺される            棘の刑くるぶしに雨近づきぬ

高熱はむらさきがちの豆の花             出奔の男にみえる九月の木

魚はみな下唇ののびる暗夜かな            君羨し晩涼の両手は天へ

冬空や鷗に白濁はじまりぬ              敵の数だけの野菊をもち帰る

魂も乳房も秋は腕のなか               柩の中ここで死んでもよい匂い

ふところの鳥の重さを偽りぬ             宙吊りにわが手袋と鵠と

鉄片やかならず男がたちどまる       石の上につくねんとある思想(おもい)かな


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 横文字の如き午睡のお姉さん

                           宇多喜代子

言いえて妙。たとえばワンピース姿のまま昼寝している若い女性の形は、漢字のようではないし仮名のようでもなく、やはりひらひらとした横文字のようだ。これで中年になると太い明朝の平仮名みたいになるのだし、老年になればアラビア文字か。私自身はどうだろう。見たことはないけれど(当たり前だ)、痩せているからたぶん片仮名みたいな寝相なのだろう。この句は拙著『今朝の一句』(河出書房新社・1989・絶版)でも取り上げたが、イラストレーションの松本哉君が大奮闘して、こうでもあろうかとAからZまでのお姉さんの寝相を描いてくれた。スキャナーがあれば、お見せするところなのだが……。(清水哲男)

<と書いて、早朝にアップしたところ> 神奈川県の長尾高弘さんがスキャンして送ってくれました。感謝。お姉さんの寝相はこのようなのです。10時55分。


 穹に出入りす白鳥の股関節

                           宇多喜代子

作者は現代の人だが、「白鳥」を「くぐい」と読ませている。「くぐい(鵠)」は白鳥の古称、ないしは雅語である。「穹」は「おおぞら」だろう。つまり、上五七で句の雰囲気を太古に設定することにより、悠久の時間性を伝えようとしている。そして、下五でいきなり「股関節」という現代語を登場させて、太古と今とをはっしと結びつけた。おおよそ、そのような演出かと思われる。ここで読者は、水面にあるときは隠されている白鳥の「股関節」に思いが至る。思いが至ると同時に、再び上五に視線が戻る。もう一度、句を読み直す。そして、白鳥のいわば「隠し所」が、大空に飛翔するときは、常に露わになっていることにあらためて気がつくのである。それは太古の昔からであり、現在でも同じことである。しかし、飛翔する白鳥にはもとより、ひとかけらの羞恥の心もないであろう。この無垢の世界。「股関節」というナマな言葉を繰り出して、逆に白鳥の清澄性を際立たせている腕の冴え。小賢しく読めば、一種の人間批判の世界でもあるけれど、私としてはこのままの姿で受け止めておきたい。白鳥を見るたびに、この句を思い出すだろう。『半島』(1988)所収。(清水哲男)


 白梅や性善説にどっぷりと

                           宇多喜代子

季語は「(白)梅」で春。なるほど、言われてみれば「白梅」はそのようにあるようだ。「性善説」は、ご存知孟子思想の中核にある考え方で、人間の本性を善と見る説である。その説に白梅が「どっぷりと」浸かっていると言うわけだが、たしかに白梅に邪気を感じたり獣性を感じたりすることは、普通はまず無い。常に出しゃばらず慎ましやかであり清楚であるように見えるから、たとえば「白梅や老子無心の旅に住む」(金子兜太)と、老子の無の哲学にも似合うのである。これが紅梅だと、そうはいかないだろう。邪気や獣性までには至らないにしても、白梅と違い紅梅には、どこか人を俗世俗塵に誘うような雰囲気がある。たとえそれが可憐に小声で誘うのだとしても、そろりと性善説の裏側に回ってしまいそうな危険性も秘めている。そこへいくと白梅は、詩歌などでは古来、清浄潔白、無瑕のままに歌われてきた。それがつまり掲句の「性善説」という表現に繋がっているのだが、むろんこれは作者の大いなる皮肉だ。そしてまた、これは単に梅見の場合だけではなく、何を見るにつけてもいわば先入観にとらわれがちな人間のありようへの皮肉にもつながっているのだと思う。この句を知ったあとでつくづく白梅を見ると、性善説の栄養が回りすぎて、花が実際よりもいささか太めに(!?)見えたりするのではなかろうか。と思って、急いで庭の小さな梅の木を見てみたら、もう花は全部散ってしまったあとであった。俳誌「光芒」(創刊号・2006年3月)所載。(清水哲男)


 戦争も好きと一声かたつむり

                           宇多喜代子

季語は「かたつむり(蝸牛)」で夏。「えっ」と、作者は耳を疑った。でも、かたつむりははっきりと「一声」言ったのだ。「戦争も好き」と……。見かけはおっとりと平和主義者のような雰囲気なのに、選りに選って「戦争」が好きだとは。読者も少なからぬショックを受けてしまう。むろんこれは作者が言わしめた台詞なのではあるけれど、その中身の意外性が、かえって最後にはさもありなんと読者を納得させることになる。敷衍すれば、これは人間にも当てはまることなのであって、突然その人のイメージとは大きくかけ離れたことを言われると、一瞬めまいを感じたりするが、結局はその人の真実のありどころを示されたのだと納得することになる。あらためて、まじまじとその人の顔を見返すことになる。そのあたりの人心の機微をよく知る作者ならではの、大人向きの句と言えるだろう。掲句を読んで、川崎洋の短い詩「にょうぼうが いった」を思い出した。「あさ/にょうぼうが ねどこで/うわごとにしては はっきり/きちがい/といった/それだけ/ひとこと//めざめる すんぜん/だから こそ/まっすぐ/あ おれのことだ/とわかった//にょうぼうは/きがふれては いない」。句のかたつむりとは違い、こちらは奥さんの「うわごと」である。でも詩人が書いているように、うわごとだからこそ、そこに奥さんの本音があるのだと納得できたのだ。しかし考えてみると、本当は寝言か寝言じゃないかというようなこととは関係がなく、両者に共通しているのは「まさかの一言」なのであって、私たちはみな、そんな「まさか」には苦もなく説得されてしまう「弱点」があるのではなかろうか。あるとき谷川俊太郎さんが「奥さん、ホントにきちがいって言ったの」と川崎さんに聞いたら、「ホントなんだよ」と、川崎さんは真顔で答えてたっけ。「俳句」(2006年7月号)所載。(清水哲男)


 それとなく来る鶺鴒の色が嫌

                           宇多喜代子

俳句の技法用語では何と言うのか知らないが、たまにこういう仕掛けの句を見かける。まず「それとなく来る」のは「鶺鴒(せきれい)」だ。読者は「そう言えば鶺鴒は『それとなく』来る鳥だな」とすぐに合点して、それこそ「それとなく」次なる展開を待つ。で、「鶺鴒の色」と来ているから、ここでおそらくは読者の十人が十人ともに、この句の行方がわかったような気にさせられてしまう。鶺鴒には「石叩き」の異名もあるように、尾の振り方に特長があり、俳句でも尾の動きを詠んだ句が多いのだが、作者はあえてそれを避け、「色」の美しさや魅力を言うのだろうと思ってしまうのだ。ところが、あにはからんや、作者はその「色が嫌(いや)」とにべもないのだった。すらすらっと読者を引き込んできて、さいごにぽんとウッチャリをくらわせている。つまり、読者の予定調和感覚に一矢報いたというわけだ。世のつまらない句の大半は、季語などを予定調和的にしか使わないからなのであって、そういう観点からすると、掲句はそうした流れに反発した句、凡句作者・読者批判の一句とも言えるだろう。よく言われることだが、日本語には最後まで注意を払っていないと、とんでもない誤解をすることにもなりかねない。俳句も、もちろん日本語だ。ただそれにしても、鶺鴒の色が嫌いな人をはじめて知った。勉強になった(笑)。「俳句」(2007年10月号)所載。(清水哲男)


 打ちあげて笑顔のならぶ初芝居

                           松本幸四郎

今年の「壽初春大歌舞伎」(初芝居)は1月2日に幕があいた。東京では歌舞伎座が改築中なので、新橋演舞場や浅草公会堂などで26日まで。演し物は「御摂勧進帳」「妹背山婦女庭訓」他。大阪は大阪松竹座で上演中である。もう早々にご覧になった方もいらっしゃるでしょう。毎年のこととはいえ、初芝居は出演者それぞれに新鮮な緊張感があるものらしい。千龝楽まで無事に終わって打ちあげともなれば、出演者はもとよりスタッフ一同ホッとして笑顔笑顔の打ちあげであろう。他の興行でも同様だろうと思われるが、大所帯で初芝居を終えての達成感・安堵感は格別のもがあるのは当然。幸四郎は八代目幸四郎(白鸚)の長男として生まれ、三歳の時に初舞台を踏んだ。幸四郎がかつて「俳句朝日」に連載していた俳句に、私は親しんだことがあるけれど、虚子に学んだ祖父中村吉右衛門(初代)の一句「雪の日や雪のせりふを口ずさむ」が、自分を俳句の世界に誘ってくれたと述懐しており、「ひょっとしたら俳句は、神からの短い『言葉の贈り物』なのかもしれない」とも書いている。掲句は『松本幸四郎の俳遊俳談』(1998)に収めた句と、その後の句を併せて編集された句集『仙翁花』(2009)に収められたなかの一句。他に「神々の心づくしの雪の山」がある。初芝居と言えば、宇多喜代子に「厄介なひとも来てをり初芝居」がある。(八木忠栄)


 眺めよき死地から死地へ青嵐

                           宇多喜代子

死地とは戦場かもしれず、また天災によって傷つけられた土地かもしれない。「眺めよき」とは甚だ物騒な表現だが、一切が空(くう)となった地をどのように表現しようかという苦悩が作者のなかにはあったはずだ。その思いが胸に巣食ったまま、本書のあとがきにたどりつけば、そこには「振り返れば一句の背後、消した百語千語や、時のひろがり、おもいの深みが蘇えってきます」と書かれていた。そこであらためて掲句を振り返れば、書かれては消された幾百の文字が、作者の祈りとなって渦巻きながらにじみ出ているように思えてきた。今はここに残された17音に、ただただ目を凝らし、人間と自然の姿に思いを馳せる。〈八月の赤子はいまも宙を蹴る〉〈かぶとむし地球を損なわずに歩く〉『記憶』(2011)所収。(土肥あき子)


 八月の赤子はいまも宙を蹴る

                           宇多喜代子

1945年の本日午前11時2分、長崎市に原爆が投下された。その瞬間赤子は永遠に赤子のまま、時間は凍りついた。掲句の赤子が象徴しているものは、日常が寸断された世界である。笑おうとした顔、なにげなく見あげた時計、蝉の背に慎重にかざす捕虫網。普段通りの仕草の途中で、唐突に命がなくなってしまったとき、その先に続くはずだった動作は一体どこへ行ってしまうのだろう。彼らは、永遠に笑い、時計を見やり、蝉を捕り続けているのではないのか。その途方に暮れた魂を思うとき、わたしたちは今も頭を垂れ、醜い過ちを思い、静かに祈るしかないのだろう。『記憶』(2011)所収。(土肥あき子)


 集つて散つて集まる蕨狩

                           宇多喜代子

ラジオ体操のような句の作りです。前半の動作が後半でくり返されるところが似ています。このように感じるのは、日本的な集団主義のおかしさがみてとれるからでしょう。仲間同士か町内会の行事か、参加者を募って車を手配し、蕨山まで団体行動をとる。ここまでの手配と段取りは、律儀な幹事が取りまとめ、参加者はそれに従います。しかし、「散つて蕨狩」をする段になると、狩猟採集本能がよみがえってきて、我先に蕨を獲得しようと躍起になる者もあらわれます。日本人は、このように自然と向き合うときに、集団から解放された自身にたちかえられるのかもしれません。しかし、集合の時間になると、皆整然と集まり、一緒に来た路を帰ります。この行動様式は、小学校の遠足にも似ているし、大人のツアー旅行にも似ています。句会も吟行も同様です。掲句がもつ、集合と拡散と集合の運動に、読む者をほぐすおかしみがあるのでしょう。『記憶』(2011)所収。(小笠原高志)

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