https://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/e/26e4666f067cc9d58faf47140da7f50e 【吾唯知足、吾唯足知(われ、ただ、たるを知る)の心境に早くならねば】より
*龍安寺の売店で買った文鎮
今日は、多少わけのわからぬ禅問答のお話です。
世界に名を成した日本のジャズ・メン、トランペットの日野皓正さんが、日本経済新聞の7月8日夕刊のコラムに書いておられます。
<年齢を重ねれば重ねるほど、「足るを知る」ことの重みが増してきた。僕は生涯、この4文字が持つ深い意味をかみしめながら生きていく>。
さすが、きわめた人の言葉です。
*日経2011年7月8日夕刊
日野さんは、1960年代後半、<ヒッピーのような生活を送っていたから派手なアクセサリーをたくさんつけていた。そのひとつに、吾唯知足と刻まれたプラスチック製のペンダントがあった。気に入って演奏する時にはいつも身につけていた>。<・・中略・・・60歳を過ぎたころ、ようやく、その意味が感じられるようになった>と書かれています。
新聞に載っている写真の吾唯知足の文鎮は<最近あるホテルで買った>そうです。
その文鎮なら、ウチにもあります。もうだいぶ前に、京都の龍安寺の売店で買ったものです。
*竜安寺の蹲踞、本物の写真(ネットの写真)
石庭で超有名な龍安寺は禅寺です。そこに水戸黄門さんが寄進した蹲踞(つくばい)があります。蹲踞は、水で手を清める手水鉢です。龍安寺の蹲踞に吾唯知足が彫ってあるのです。ワタシも持っている文鎮は、そのレプリカのようなものです。
吾唯知足の“口”の字を真ん中に置いて共用し、周辺に4文字を配置した造形です。
これをどう読むか。われ、ただ、たるを知る、でいいでしょう。
さて、これを漢字で書けば、吾唯知足なのか、吾唯足知なのか。
上から順番に、上の文字、吾、次に、右の文字、唯、それから左の知、最後に下の、足で、吾唯知足。いや上から時計回りに書けば、吾唯足知。
龍安寺のホームページには、吾唯足知、とあります。文鎮の説明書、日経の日野さんの原稿は、吾唯知足、です。
漢文は、上から下に読む、同時に、返り点(レ)を入れてひっくり返すことができるから、ひょっとするとどっちでもいいのかも知れません。
うやうやしい仏教の言葉で、どっちでもいいというのは、お寺の小僧も困るでしょう。
正しいのはひとつです。“知足”という言葉、仏教用語があるようです。
とすると、龍安寺の方が間違っていることになります。
知足、“足るを知る”ということがわからないのです。“足るを知る=足らないこと知る”、それで頑張ろうという教えなのか。いや“足るを知る”・・・・それで充分。もうこんなモンで良しとしようとする、いつものワタシの生き方でいいよ、という教えなのか。
*「吾唯知足の栞」と書いてあります。
文鎮についている説明書をそのまま写します。
<仏遺教経(釈迦の遺言のお経)の中に、「知足の者は賎(いや)しとも雖(いえど)も富めり」「不知足の者は富めりと雖(いえど)も賎(いや)し」とあることからとったものです。また孔子のお言葉に「足ること知るものは心安らかなり」と教えています>
<これは、仏教の神髄であり、茶道の精神でもあり、これが真の平和の精神です。>
わかりましたか?ワタシには、さっぱりわかりません。まだまだ、です。
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