http://www.i-nekko.jp/kurashi/2018-051010.html 【ほととぎす】より
「目には青葉山ほととぎす初鰹」でもおなじみのほととぎすは、5月頃に南方から渡ってくる夏鳥で、夏の到来を告げてくれます。また、ほととぎすの鳴き声が聞こえたら田植えをする時期だといわれ、農作業の目安を教える鳥として、古くから人々に親しまれていました。
■ほととぎすってどんな鳥?
ほととぎすの大きさは、ヒヨドリと同じくらい(全長28cm程度)で、頭から背中にかけては灰色、尾と翼は黒褐色、腹部は白く横斑といわれる黒い線があります。カッコウ目カッコウ科に属し姿はカッコウによく似ていますが、似ているのは姿かたちばかりではありません。ほととぎすは、カッコウなどと同じように、他の鳥の巣に卵を産み、ヒナを育てさせる「托卵(たくらん)」という習性があります。
■どう聞こえる?ほととぎすの鳴き声
ほととぎすの大きな特徴は、その鳴き声でしょう。昼夜関係なく、「キョッキョキョキョキョキョ」と激しく、切なく鳴き続けるほととぎすの声。実は、ほととぎすの名は鳴き声の「ホトホト」に、カラス、ウグイスなどのスと同じく、小鳥の類を表す「ス」がくっついたものと考えられています。私たちの耳には「ホトホト」とは聞こえませんが、昔の人はそう感じ、表現したのでしょう。
いまは、よく「トッキョキョカキョク(特許許可局)」などと表されますが、地域によって鳴き声の表し方に違いがあります。「テッペンカケタカ(天辺かけたか)」「ホンゾンカケタカ(本尊かけたか)」「ホウチョーカケタカ(包丁かけたか)」などいろいろありますが、そこにはベースになっているストーリーがあり、その中のひとつをご紹介します。
・ほととぎすの兄弟伝説
昔、ほととぎすは弟と二人で暮らしていた。ある日、二人で山の芋を掘りに行き、弟が先に帰って掘った芋を煮ておくことになった。弟が煮え加減を見ようとひとつ食べてみるとたいそううまい。自分の分だけ食べようと、芋の悪いところだけ食べ、いいところは兄に残しておいた。しかし、帰ってきた兄は、弟がうまいところだけ食べたに違いないと疑って、弟がいくら言っても納得しない。そこでとうとう弟は「そんなに疑うなら自分の腹を割ってみろ」といい、兄は弟の腹を割いた。すると中から出てきたのはくず芋ばかり。兄は大変後悔して鳥の姿になって山に飛んで行き、「おととかわいや、ほーろんかけたか」と毎日鳴き続けた。ほととぎすの口の中が赤いのは、鳴きすぎて血を吐いているからだ。
これは奈良県の伝承で、全国に似たような兄弟伝説が残っていますが、鳴き声の表現は地域によって様々です。
■たくさんの異名を持つほととぎす
ほととぎすは、古くから和歌や俳句、物語の中にもよく出てくる鳥で、様々な呼び名で登場しています。「卯月鳥(うづきどり)」「早苗鳥(さなえどり)」「しでの田長(たおさ)」「時鳥(ときつどり)」「妹背鳥(いもせどり)」など、他にもたくさんの異名があります。
漢字表記もいろいろあり、「杜鵑」「杜宇」「蜀魄」「不如帰」などは、蜀の望帝(杜宇)が帝位を家臣に譲り隠棲した後、死後ほととぎすに化し「不如帰」と鳴いていて飛び去ったという中国の伝説に由来します。
「子規(ほととぎす)」は、「不如帰」から「思帰」となり「子規」に変わったという説があります。
■正岡子規とほととぎす
日本で初めて、明治30年に創刊された俳句雑誌「ホトトギス」は指導者である正岡子規の雅号「子規」にちなむものでした。「子規」はほととぎすのことです。
ほととぎすは口の中が赤く、血を吐いたように見えることから「鳴いて血を吐くほととぎす」ともいわれます。喀血に苦しむ自分の姿をほととぎすに重ねたといわれています。
■ずるい子育て?托卵(たくらん)するほととぎす
カッコウの仲間は「托卵」してヒナを育ててもらいますが、そのやり方は実に巧妙です。ほととぎすは、主にうぐいすの巣に卵を産みますが、親鳥がエサを取りに出た留守中、巣に卵をひとつ産むと、もともとあったうぐいすの卵をひとつ抜き去り、うぐいすに気づかれないよう数合わせをします。サイズはほととぎすの卵の方が若干大きいものの、色も形も似ているのでうぐいすには気づかれません。そしてほととぎすの卵の方が孵化が早いので、ほととぎすのヒナは本来のうぐいすの卵やうぐいすのヒナまでも巣の外に放り出してしまいます。そんなことになっても、うぐいすは本能でヒナにエサを与え続け、ほととぎすを育て上げることに。随分ひどい話のようですが、ほととぎすは体温を保持する能力が低く、自分で抱卵しても孵化が途中で止まって孵らない可能性が高いので、他の鳥に託すのではないかと推察されています。
■ほととぎすに花が咲く!?
実は「ホトトギス」という植物もあります。日本の特産種で主に太平洋側に自生する多年草です。日陰のやや湿った斜面や崖、岩場に見られ、秋に直径2~3cmで紫色の斑点のある花を咲かせます。若葉や花にある斑点模様が、鳥のホトトギスの胸にある模様と似ていることからこう呼ばれるそうです。
https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/02.html 初夏―其の二【ほととぎす】より
古来、詩歌に詠われてきた代表的な題といえば、雪(冬)、月(秋)、花(春)そしてほととぎす(夏)。最近の都市化で、その声を聞くことはまれになったが、初夏の鶯、秋の雁をしのぐ日本を代表する鳥とされてきた。伝統俳句の牙城である「ホトトギス」がその誌名としたのも故なしとしない。ところが近年はあまりパッとしない。接する機会が減ったというのがいちばんの理由だろうが、日本人の季節感の変化あるいは衰退ということも、その背後にあるように思われる。
ほととぎすは「杜鵑」「時鳥」「子規」「郭公」「不如帰」「杜魂」「蜀魂」などと書かれるほか、あやめ鳥、いもせ鳥、うない鳥、さなえ鳥、しでの田おさ、たちばな鳥、たま迎え鳥、夕かげ鳥などなどたいへん多くの異名がある。それだけ日本人と多面的な付き合いをしてきた複雑な存在だということを、このことはものがたっている。
ほととぎすといえば、まずその鳴き声である。「テッペンカケタカ」「ホンゾンカケタカ」「特許許可局」「あちゃとてた(あちらへ飛んで行った)」などとと聞こえるとされる鳴き声は、かなり忙しげで「帛(はく)を裂くが如し」と言われている。その間にピチピチという地鳴きをはさむが、雌の声はこの地鳴きだけである。夜間に鳴き渡ることも多く、その場合は短くキョッ、キョッと鳴きながら飛びすぎるので、気がつかない人も多いようだ。初音、初声ということばで、その鳴き声を待たれるのは鶯とほととぎすだけ。ともに春と夏の到来を告げる鳥として、その初音を今か今かと昔の日本人は待ったわけである。渡り鳥であるほととぎすが渡来する5月初めはちょうど田植え時。そのため田植えを促す勧農の鳥とされた。
「いくばくの田を作ればか時鳥しでの田長(たをさ)を朝な朝な鳴く」(藤原敏行『古今集』)という歌は、田植えの監督者である長老の田長に、田植えを早くするようにと、ほととぎすが呼びたてていくという意味である。「しで」はよくわからない。「賎(しず)」の転訛とも、山の名とも言われている。「しでの田おさ」はほととぎすの異名にもなるが、問題はこの「しで」が同音の「死出」のほうに連想が働き、暗いイメージが定着していくことだ。ひとつには夜にも鳴く鳥、姿も見せずに鳴く鳥というところから、冥土に通う鳥とされていた点。もうひとつには「杜魂」「蜀魂」という名の由来になった中国の故事のイメージである。蜀の望帝は、退位後、復位しようとしたが果たせず、死してほととぎすと化し、春月の間に昼夜分かたず悲しみ鳴いたという。これらのことも重なって、ほととぎすの一面でもある暗い陰鬱なイメージができていったと思われる。鳴き声をまねると厠に血を吐くなどの凶事があるとか、床に臥して初音を聞くと、その年は病気になるとかのいろいろな不吉な言い伝えがある。
子規一二の橋の夜明かな 其角
うす墨を流した空や時鳥 一茶
ほととぎすすでに遺児めく二人子よ 石田波郷
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