「竹取物語」かぐや姫、あなたはなぜ、月から来たの?

https://blog.goo.ne.jp/fuwafu-wa/e/e03c4dec988a677f6dd9862ab75c55fc 【「竹取物語」かぐや姫、あなたはなぜ、月から来たの?】  より

今回は、日本最古の物語と言われるかぐや姫が主人公の「竹取物語」のお話をします。

私は「竹取物語」が子供の頃から大好きでした。

その理由はまず第一に、女の子なら誰でも憧れるお姫様の物語だからです。

当然、「白雪姫」「シンデレラ」「眠りの森の美女」も大好きで、絵本を何度、読み返したか知れません。

どのお姫様も、初めは継母や血の繋がらない姉などに意地悪されるのですが、ある日、白馬に乗った王子様が颯爽と現れ、それらの人々をこてんぱんにやっつけ、めでたく結ばれるというストーリーに、幼い私はどれだけ胸をときめかせたことでしょう。

だから、幼かった私は、いつかは自分にも白馬に乗った王子様が現れ、私の前に跪き、手にキスをしながら、「あなたこそ、私が探し求めていた人だ。お願いです。私の妻になって下さい。」と言いに来るのを、来る日も来る日も待ち続けていたものでした。  

いいえ、今でも、そういう気持ち、心の奥にわずかながらあります。(苦笑)

でも、さすがにこの歳になると、白馬に乗った王子様じゃなくても、どこか遠いところに連れてってくれるなら、旅人でもいいかなと、やや現実的にはなっていますが。

私が、旅人が好きなのは、案外、そういうところにあるのかも知れませんね。

ところが、かぐや姫の場合、求婚者は何人も現れますが、誰とも結ばれませんよね?

と言うか、かぐや姫に結婚願望を持つ男性は、嘲笑の対象となるような魅力に乏しい人物として描かれています。

そういえば、かぐや姫に限らず、日本の昔話に登場するお姫様は、鉢かづき姫や瓜子姫に見られるように、素敵な男性と結ばれて、ハッピーエンドで終わるお話は全くと言っていいほどありませんよね?

その理由は、漢字の嫁は、女篇に家とあるように、日本での昔の結婚は家同士の結婚という考えが根強く、まったく見知らぬ人と恋愛しての結婚はあり得なかったという事なのでしょうか?

それはともかく、私が、かぐや姫が好きなのは、単なるお姫様ではなく、竹から生まれ、わずか三ヶ月で大人になったり、月の世界に帰っていく、とっても不思議なストーリーに惹かれてでした。

幼い私は、白馬に乗った王子様を待ち続けるお姫様にも憧れていましたが、UFOやネス湖のネッシーなど、不思議な出来事も大好きだったんです♪

もしかしたら、「竹取物語」は本当にあった出来事で、かぐや姫は宇宙人で、UFOで竹林の中に不時着して、心ならずも地球での生活を余儀なくされ、仲間が迎えに来るまでを記録したのかも?

ところが、作家の杉本苑子さんが、以前、NHKの「歴史発見」という番組で、「竹取物語」の作者を探りつつ、この不思議な物語が貴族社会の凄まじい権力闘争の果てに生まれたのだと推理なさっていたのです。

なんでも、かぐや姫に求婚者する5人の貴族には、実際のモデルがいたらしいのです。

大納言大伴御幸は、そのまま大納言大伴御幸

右大臣阿倍みむらじは、右大臣阿倍御主人(みうし)

中納言石上まろたりは、大納言石上麻呂

石作皇子は、同じ一族の左大臣多治比嶋

車持皇子は、母親の出生が車持氏の大納言藤原不比等

これらの人物はみな奈良時代の「公卿補任」という閣僚名簿に載っていて、権力の中枢にいたのですが、紀氏、巨勢氏、石川氏は「竹取物語」に載っていないそうです。

自分の一族を嘲笑の対象にするのは考えにくいところから、紀氏、巨勢氏、石川氏の3氏のいずれかが「竹取物語」の作者の可能性があると杉本苑子さんは指摘しておられます。

ところが、「竹取物語」が書かれたのは、平仮名を使用しているところから、9世紀後半から、10世紀前半だと言われているらしく、これらの人物が生きていた時代の約200年後に当たるのだとか。

そこで「竹取物語」が書かれた時代背景を勘案した結果、藤原氏に政治的権力を奪われ、文学に活路を見出した日本最初の勅撰和歌集である「古今和歌集」の選者で、「土佐日記」の作者でもある紀貫之の名が浮上してきたそうです。

杉本苑子さんは「古代の権力闘争のごたごたが尾を引いて、その憎しみがひとつの文学に結晶したのではないか」と、「竹取物語」を見ているとか。 

そう言われれば、5人の求婚者のお話は、「竹取物語」の6割も占めていますので、作者がもっとも言いたかった事はそこにあるような気がします。  

でも、私は憎しみが元で生まれた物語が、長い間、人々に愛されてきたとはちょっと考えづらいのです。

私は、何となくかぐや姫が可哀想でならなかったのです。

なぜ、かぐや姫は誰とも結ばれずに、月に帰らなければいけなかったのでしょうか? 

そんな時、「源氏物語」の中で、紫式部が、「竹取物語」を、「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」と紹介し、その価値について「かぐや姫のこの世の濁りにも穢れず、はるかに思ひのぼれる契り高く」と評しているのを知り、共感を覚えずにはいられませんでした。

そうするうち、最近になって、古本屋さんで、三橋 健著の「かぐや姫の罪」という文庫本を見つけたのです。

この本には「竹取物語」に隠されていた意味や、我が意を得たりと思わずにはいられない説が、実に詳しく書かれていたのです。

三橋 健さんは神道の学者で、神道の立場から「竹取物語」を読み解くと、ほとんどの謎が解けると仰っています。

神道のために書かれたのは、まずこの物語のタイトルが、「かぐや姫の物語」でなく、脇役であるはずの讃岐の造(さぬきのみやつこ)、いわゆる竹取の翁を冠した「竹取物語」である点でも明らかだと言います。

翁の職業、竹取とは、野山に分け入って竹を取り、それを用いてさまざまなものを加工・細工するのが仕事だったとか。

それは農家で使われるものが多かったそうですが、箕(み)はお米の殻を振るい除くほかに、中秋の名月の時に月見団子を載せる台としても使われています。

そもそも月見団子は神様へのお供え物で、箕は単なる用具や器ではないそうです。

それに、竹を編んで作る籠は、「古事記」に登場する海幸彦・山幸彦の物語に出てくる「間なし勝間」のことでもあり、この世と異界を結ぶ船のような役割を持つものと考えられていたとか。

つまり、かぐや姫が竹から生まれたのは、竹が弥生時代や古墳時代の頃から、祭祀具として用いられ、竹の同類の笹も祓いの力があり、多くの神事に使われている事と関係しているそうなのです。

そして、竹がそうした事に使われるのはほかの樹木に見られないほど急成長し、計り知れないほどの生命力を持つことから、人知の及ばない神威を感じ取っていたからだそうです。

竹は、わずか二~三ヶ月で二十メートルまで伸び、以後、何年経っても伸びないのですが、かぐや姫も三ヶ月で、大人の女性に成長し、その後、年を取らなくなります。

また、竹は二十年で寿命は尽きるのですが、かぐや姫が月に帰るのも、二十年後に設定されています。

これだけでも、「竹取物語」が、宗教と深い関わりがあり、作者が竹の生態を熟知していたかが分かるようですよね?

それは、月に対しても言えるそうです。

なぜ、かぐや姫は月から来て、月に帰らなければならなかったのか? 

昔の人は月が満ち欠けする姿に「死と再生」の連続性を見出していたと言います。毎月最後の日は、月の姿が隠れて見えなくなる「お月ごもり=晦日」。それは死を意味しているそうです。翌日は月が再び立って現れる再生の「お月立ち=朔日」。間に月が満ちる望月を経過しながら死と再生は繰り返されていきます。
しかし、そこに住む月の世界の人は老いることがなく、時間の観念の異なる世界で、かぐや姫は人の形をとって現れた権現、つまり神様を表しているそうです。 
では、かぐや姫はなぜ地球にやって来たのでしょう?
それは、この本のタイトルにもあるように、「かぐや姫の罪」に原因があるそうです。確かに、原典にも、「かぐや姫は罪をつくり給へりければ・・・」と書いてあります。どうやら、かぐや姫は罪を作って、地球に流されてきたらしいのです。しかし、「竹取物語」にはどこにも、どんな罪だったのか書かれてはいないのです。

ところが、古くから、かぐや姫のことだと伝えられる木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)が祀られる静岡県富士宮市にある富士浅間神社の「浅間御本地御由来記」に、姦淫の罪であったと記されているそうです。

しかし、かぐや姫は身籠りはしたようですが、それは処女懐妊で有名なイエス・キリストを産んだ聖母マリアと同じで、男性との関係はなかったとされているとか。 

ではなぜ、かぐや姫は無実の罪で、地球に流されてきたのでしょう?

かぐや姫は、最終的に罪が償われ、清い身となり、地球での役目を終えて、月に帰っていきます。つまり、かぐや姫の罪は祓われたのです。

神社の祭祀の時には必ず「お祓い」すなわち「祓え」が行われます。言いかえれば、「お祓い」のない祭祀は存在しません。

それは人々が積もり積もった罪や穢れを神様に負わせ、新たな気持ちで生活し、信心するのに必要不可欠だからです。

その罪や穢れを負った神様はさすらいの旅に出て、遠くに流して下さると考えられてきました。さすらいの旅は、人々の心を洗い流します。そのおかげで旅人には「我」がなくなり、最終的には悟りの領域にまで達するのは、多くの先人や経験者の語るところです。

四国のお遍路さんが「同行二人」という文字を笠に書くのは弘法大師と一緒に旅をするという意味で、大師の後ろを歩くことによって、罪が祓われたのだと考えられるようになったとか。
そういえば、私は「さすらいの旅」で、ふと気づいたのですが、旅好きの人に、母親との関係が上手くいっていなかった人が多い事です。

以前、お話した吉永小百合さんも、旅の本を出すなど、旅が好きだと言いますし、私の周りでも、母親との関係が上手くいっていなかった人で旅が好きな人が、何人もいるのです。

私は母親の子供に寄せる愛情ほど、この世で尊いものはないと思っています。

その母親に愛されなかったという潜在意識が、愛情を求めて、さすらいの旅に出たくなるのではと、これまで思っていました。

でも、もしかしたら母親に愛されなかったという悲しさや憎しみを、遠くに捨て去り、祓うという意味もあるのかも知れません・・・

このように「竹取物語」は、かぐや姫が蘇り、もとの世界に帰るまでの「さすらい=祓え」の旅を記した物語であると、この本には書かれてあり、この説に深く納得した次第でした。

そうして、かぐや姫は八月十五日、中秋の名月の日に月に帰っていくのですが、その日は一年中で月がもっとも天頂高く、長い時間、見えていて、月の都の人たちが降りてくるのに、これほどふさわしい月夜はないと言っていいでしょう。

 かぐや姫、あなたはなぜ、誰とも結ばれないの?

 そしてなぜ、いつも悲しげに泣いているの?

それは、私たちの心に巣食う罪や穢れを一身に背負って、遠くに流し、祓うという重大な任務を遂行するためで、私たちが安やかで穏やかな気持ちを得られるようにという意味だったのですね。