秋蝶の翅の破れて・ペシミスト

秋蝶の翅の破れて舞ふ陽かな  五島高資

The autumn butterfly

with a torn wing

in the bright sunshine Taka Goto

Facebook・太田 隆文さん投稿記事

🔴なぜ、日本人は悪い方悪い方に考えるのか?=希望を探さず嘆くばかりの人たち。

日本人にはペシミストが多い。ペシミスト=悲観主義者だ。未来を悪いように考える。希望を持たない。物事を悪い方悪い方に考える。こんな経験はないか?友人や先輩にささやかな夢や希望を語る。将来の計画を話すと「そんな簡単にいかない」「甘いよ」「ま、やってみれば~」と冷ややかに言われる。或いは、人気俳優がいる。とてもいい芝居をする。大人気だ。多くのマスコミが注目。でも、こういう人たちがいる。「どうせすぐにダメになる。今だけだ。世の中、甘くないからな~」

そんな人たちがとても多い。なぜ、悪い方にばかり考えるのか? 子供の頃に「将来、パイロットになりたい!」「野球選手になりたい」と思う。だが、次第にとてつもなく難しいことであると気づく。極々一部の人しかなれないことが分かる。大学でも子供の頃は「努力すれば東大にでも入れる!」と思ったりする。が、努力だけではダメなことも次第に理解する。

結局、真面目にコツコツ勉強して、自分の学力に合った大学に行くしかない...と考える。ミュージシャンだ。俳優だ。カメラマンだ。作家だ。と派手な仕事に多くが憧れるが、自分には「才能」(そんなものは存在しないのに)がないから無理だと諦めて、それなりの大学に入り、それなりの会社に就職。「それが人生だ....」「それが大人の考え方だ...」と思うようになる。そして自分の子供が夢を語るとこういう。「世の中、甘くないんだぞ!」

その背景にあるのは島国であるニッポンの閉鎖性。長い歴史と気候や土地柄等が影響している。ムラ社会ルールも関係する。が、今回は原因追求ではない。そうやって多くの日本人はペシミストになりがち、希望を探すより、問題点を探して現実に失望する。その問題点を解決する方法を考えず、嘆いてばかりいる。

今、日本人は何を言っているか?「安倍が辞めても何も変わらない」「菅政権はさらに悪くなる」「れいわ 新選組も期待できない」「枝野が代表ではダメだ」もっともな意見もあるが、批判ばかり。悪いところ、問題点を見つめて悲観しているだけ。なぜ、希望を探さない。なぜ、可能性を見つけて応援しない。

こんなことを言う人もいる。「コロナが終わったら戦争が始まる。日本はさらに酷くなる」ーそんな訳はない。戦争は三密の極致。やれる訳がない。各国ともに経済ガタガタで戦争なんて出来ない。その発言も悲観主義が影響している。コロナ禍が終われば時代は良くなるとは考えず、より悪くなると思えてしまう。だから、もっと酷いこと。戦争が始まると考えたのだろう。論理性がなく、悪い方、悪い方に想像しているだけだ。

始末に悪いのは悲観的なことを言うことや、現状に希望を持たないことが「大人の考え方」と思っている日本人が多いこと。あるいは無意識にそう感じている。「俺は子供っぽい夢なんて持たない。甘い考えなどしない厳しい現実を理解している大人だ」と思っている。が、その背景、本質はこうだ。子供時代にパイロットや野球選手に憧れたが、厳しい現実を知って諦めた経験。希望の大学に入学できなかったこと。そのために「世の中甘くない。足掻いても変わらない。それを受け入れるのが大人だ...」とネガティブな認識をするようになった。言い換えれば、何をしても無意味。諦める。耐える。努力しても無駄。希望は持たない。批判はしても行動はしない。「だって世の中、甘くないから...」それが大人だと深層心理で認識してしまうからだ。

今一番必要なのは、やはり現実を直視し、分析すること。問題点だけを探すのではなく希望を見つけること。貧しい想像で決めつけず、事実を吟味することだ。「世の中、甘くない」と言うだけが大人ではない。「甘くない世の中で、どう生きるか?」を考えるのが大人なのだ。僕はこの先、日本がいい方向に向かう予感がしている。予感だけではない。いくつかのエビデンスもある。菅は暫定政権。長くは続かない。その話もいずれ書かせてもらう。希望はある。嘆いているだけでは何も変わらない。希望を探そう。そして行動しよう!


https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00728/ 【リスクを好まない国、日本!: 脳のブレーキが生む「おもてなし」精神】 より

どうやら日本人は遺伝的にペシミストらしい。ペシミストだから悪いなんてことはないのだ。日本人のペシミスト気質が、日本人の勤勉さや、まじめな気質の源泉なのだから。 

無難あふれる日本、成功に懸ける西欧

日本人はどのように現実を捉え、その結果、どのような文化を作っているのか。

「人々の見方とその発想は、彼らの使う言語によって制約を受ける」――著名な言語学者エドワード・サピアの仮説に立てば、四半世紀近く日本で暮らしている私の場合は、日本人と同じ言葉でものを考えるようになった分だけ、生まれ育ったアラブ社会が不思議なものに見えることがある。逆に、アラブ人としては、母語であるアラビア語の感覚が根強く残っていることで、日本人とその行動に違和感を覚えることも少なくない。日本とアラブの二つの文化の間に宙ぶらりんになっているように感じることがある。

日本人は、「リスク」と聞くと、「何か悪い結果を招く危なかしいもの」のように感じるらしい。そのため、ここで生きる人々はなるべくリスクを取らないよう細心の注意を払うことが当たり前になっている。仕事や学校に行く時も、人と話す時も、あらゆる場面で可能な限りリスクのないように行動を律する。結果として、日本社会には「無難」があふれている。

一方、日本の近代化のモデルとなった西洋社会では「リスク」が意味する概念には「計算された行動で、うまくいった場合の成果が大きい」という意味合いが強い。つまり、計算の中に「成功」に懸ける発想が中心となる。これは、悪い結果を招くニュアンスが根強い日本語とは正反対の発想だ。

日本の大学で教鞭を執って15年ほどになるが、学生の行動にもリスク回避気質が表れている。授業にはディスカッションや自分の考えを述べる場面を作り、双方向的な形で展開したいと思っているのだが、学生に意見を求めても、まともに答えが返ってくることはまずない。でも、しばらくすると、教室のあちこちで、隣同士でおしゃべりが始まり、自分の意見を言ったり、論評しあったりしている。意見が無いから私の問いに答えないわけではない。みんなが手を上げないのであれば、自分もそれに従って目立たない方が良いと判断する。日本人お得意の「空気を読む」は、「出る杭は打たれる」リスクを回避するために必要な知恵なのだ。

「楽観」と「悲観」は遺伝で決まる?

リスクを嫌う気質故に、日本人は世界で最も投資意欲が低いと言われている。日銀の資金循環統計によると、2018年末の個人(家計部門)の金融資産は1830兆円にも上るが、欧米主要国に比べて、現預金のウェートが高く、株式・投信などのリスク資産の比率が低い。リスクを伴う投資による収入がネガティブに捉えられるところによる影響が大きい。だから、政府がいくら旗を振っても、「貯蓄から投資」がなかなか進まないのだ。こうした、日本人のネガティブ思考の背景にはどうやら遺伝的な要素が関係しているようだ。

米国の名門大学の一つであるウェルズリー大学の心理学者ジュリー・K・ノレムの研究によれば、人間の心的傾向(メンタリティー)は「防衛的ペシミスト」と「戦略的オプティミスト」の2種類に分類することができるという。防衛的ペシミストは、どんなに成功を積み重ねても「次は失敗するかも」とネガティブに考える。一方、戦略的オプティミストは確たる根拠が無いのに、「次は絶対できる!」と前向きに考える。

防衛的ペシミストになるか戦略的オプティミストになるかの鍵を握っているのがセロトニンという物質であるという。セロトニンは脳内にある神経伝達物質で、これが十分にあると安心感や、やる気につながり、少ないと不安感やイライラの原因となる。セロトニンを脳内で運搬する役割を担っている「セロトニントランスポーター」と呼ばれるたんぱく質の遺伝子型によって、セロトニンが十分に行き渡るかどうかが決まるというのだ。

セロトニントランスポーター遺伝子には少ししか運べない「S型」とたくさん運べる「L型」がある。遺伝子は両親から1つずつもらうので、SS型、SL型、LL型の3つの組み合わせになるのだが、日本人はSS型が7割近くを占め、LL型は数パーセントしかいないという。つまり、脳内でセロトニンが十分に活用されず、ちょっとしたことで不安になったり、悪い結果を予想したりしがちな「防衛的ペシミスト」集団が日本という国だということになる。

「和」の精神は脳ブレーキの働き

誤解のないのように断っておくが、「戦略的オプティミスト」の方が優れているとか、「防衛的ペシミスト」は成功できないということではない。ノレム氏の著書のタイトル『The Positive Power of Negative Thinking(邦題「ネガティブだからうまくいく」)』が示すように、ネガティブな思考がポジティブな力を生み出すことがある。「失敗するかも」「この先、何かしらの障害が待ち受けている」と考える人は、慎重に計画を立て、軽率な行動で混乱を招いたり、周囲の人に迷惑をかけたりしないようにする。相手にも最大限の配慮をするので、人との信頼関係も築きやすい。こう考えると、「防衛的ペシミスト」という気質が、日本人の勤勉さやまめな仕事ぶりの源泉だと言えるのかもしれない。

人間の脳は、願望や欲求などを満たすための「アクセル的な働き」と、それらを抑制する「ブレーキ的な働き」の二つの働きによってコントロールされているそうだ。

「アクセル的な働き」は人間が生まれたときから本能を司る脳の部分であるのに対して、「ブレーキ的な働き」は、成長の過程で人間が身につけていくものである。「出る杭」になることを避けようとする日本社会においては、「ブレーキ」が特に重要な意味を持つ。

言語の特色にもその影響が見られる。「〜なのではないか」「〜のかも分かりません」「〜と思われる」などのように断定せず、曖昧で無難な表現を選択することが「良し」とされる。気持ちや表情の抑制も日本らしい文化の一つとされている。人前で強く感情を示すことなく、悲しいときや動揺しているときに自らをコントロールする強い意志を見せるのも、日本人の気質の一つである「気丈」のおかげだ。

日本の「和」の精神の根幹を成すのも脳の「ブレーキ的働き」である。社会のニーズを成り立たせるためには、村人が自らのニーズよりも、村社会全体のニーズを考え、他の人々と行動を共にして稲を植え、収穫をしなければならない。これも日本人が得意とする脳のブレーキ的働きによって可能となる。このように例を挙げたら切りがないほど、脳の「ブレーキ的な働き」が日本人の行動パターンの標準となっている。

ネガティブとポジティブは等価値

これらの「ブレーキ的働き」によって生まれる行動パターンこそが、相手への思いやりや配慮として現れ、日本人の「おもてなし」の精神を生んだとも考えられる。しかし、それは言ってしまえば、日本人は誰よりも周りの人のことを考えて思いやることや、人をもてなすことに長けていると言えるかもしれない。

「グローバルスタンダード」が求められる今の世の中、西欧型の戦略的オプティミストがもてはやされ、物事を前向きに捉え、願望や欲求を率直に表すことこそ成功への道であるかのように思われがちだ。しかし、文化や風土、あるいは遺伝子による制約によって、誰もが戦略的オプティミストになれるわけではない。それを悲観する必要はないのだ。ネガティブとポジティブ、また、脳のブレーキ的働きとアクセル的働きは太陽と影の関係のように等価値であり、切っても切れない関係なのではないだろうか。

そう考えるのは、私が、防衛的ペシミスト社会にどっぷり漬かっているからかもしれない。