晩年の虚無感

https://oldjazzyguy.exblog.jp/27081239/  【偉人のボヤキに学ぶ晩年の虚無感】より

○レオナルド・ダ・ヴィンチ

・偉大な業績を後世に残す事は、今死んでいく私には価値がない。

○ミケランジェロ

・芸術を偶像・君主と崇めたことは間違いだった。その欲望は災厄の源泉だった。

○松尾芭蕉

・この後はただ生前の俳諧を忘れんとのみ思うはと、返す返す悔やみ申されし也。

○クロード・モネ

・私の人生は失敗。残された仕事は作品を壊すことだ。

○パブロ・ピカソ

・傑作かクズが?、絵・展覧会が何だ?、何の役にも立たない。

それぞれの現役時代の境遇や、この発言がどのような動機と感情から誘発されたかが明確でないので"真理"を語っているとは言えない。しかし、亡父が死期を悟り始めた他界1年前位から「わしは生きて来た事や存在を消したい、散骨しろ」と自棄していた事実と重ねてしまうと、"真理"なのかなと考え直してしまう。ただ、亡父のは動機が軽薄だった。亡父は"昔の自慢話と世間の批判"ばかりして家族・近所から嫌われていた。そんな疎外された状況が寂しくて自虐発言していたのだとおもう。

私の解釈に落とし込むと、偉人達の発言は、老化して今まで以上の進歩と制作の喜びを感じれなくなった自分にとって、作品・キャリアの維持管理が"面倒臭くなった"だけなのだとおもう。偉人達とは圧倒的レベル差があるが、私も半年前まで持っていた過去の業績記録を捨てた所だ。現在は家族の記録も捨て始めている。さらに私の場合は、早過ぎる自身の能力劣化・役割喪失が加味されて、「2年も経過するとこんなに陳腐化・不要化するものなのか」と呆れてもいる。形・記録に残る物はすべて捨て去りたいと願うこの頃だ。あれ?、亡父と同じだよ。

今、写真をどうするか迷っている。作品を残す作業に必ずなるからだ。"個展/名刺代わり"という動機も不純だ。それこそ自己承認欲求に他ならない。幸福="今の充実・自己成長"から外れる。下手でもジャズピアノに専念するのがよいかもしれない。その日その日を即興して過ごし録音はしない"気まま暮らし"、これは始める当初から想定していた。写真は11月のパリで心がどう動くかを確かめてから決断をしよう。


http://meaning.main.jp/modules/pico/index.php?content_id=70&page=print 【生きる意味は生きたきた証を残すため?】より

自分が最後死んでしまうとすれば、自分が生きた証が残ればいいのではないか、いや、何とか生きた証を残したいと思います。

「自分が生きていたことを証明するため」「人の記憶に残るため」という人もありますが、作品や影響、思い出を残すのが、生きる目的ではないかというものです。

 ではさっそく、トップレベルに生きたあかしを残し、人々に影響を与え、多くの人の記憶に残っていると思われる人に尋ねてみましょう。

これも気をつけねばならないのは、他人にとってではなく、本人にとって生きる意味があるかどうかが大事ということです。

それではまず、レオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵する天才の登場です。

16世紀イタリア ミケランジェロ・ブオナローティ

 ダビデ像をはじめ、彫刻、絵画、建築などの様々な分野で偉大な作品を残したルネサンスの天才、ミケランジェロは、生前から高い評価を受けており、史上、最もすぐれた芸術家の一人として、多くの作品を残しています。

私たちからすれば、大変な生きたあかしが残されていますから、これはミケランジェロ自身にとって、すばらしい生きる意味だったのではないでしょうか?

 ところが本人は、晩年、芸術に対して深い幻滅を告白しています。

いまやわたしは知った、芸術を偶像とも君主ともみなしたあの迷妄の情熱がいかに誤っていたかを。

人間にとってその欲望がいかに災厄の源泉であるかを。(ミケランジェロ)

 後世にあのようなすばらしい作品を残しても、本人は、芸術に人生を捧げたのは、迷妄であり、誤りであり、その情熱や欲望は、災いの源泉であったと後悔しているのです。

17世紀日本 松尾芭蕉の場合

 江戸時代は元禄文化、俳聖と言われ、世界的に知られる松尾芭蕉が、最後、病に伏し、死の4日前に詠んだのがこの有名な句です。

旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる

このとき芭蕉は早く治してまた旅に出たいという夢を語ったのか、それとも死期をさとり、50年の旅のような人生を夢か走馬燈のように思い巡らしていたのか。死がすぐそこまで迫る中、一体何を見たのでしょうか。

 そのとき立ち会った弟子の『笈日記』によれば、芭蕉は、俳諧の道を志してより、花鳥風月に心をかけるのは迷いであるとかねがね聞いてはいたが、死を前にしてその通りだったと知らされ、「もう生前の俳諧を忘れようとしか思わないとは」と、くり返しくり返し後悔したとあります。

この後はただ生前の俳諧をわすれむとのみおもうはと、かえすがえすくやみ申されしなり。(『笈日記』)

たくさんの名句を残し、日本人なら誰でも知っているような松尾芭蕉も、臨終に後悔しているのです。

18~9世紀 ナポレオン・ボナパルトの場合

 古い社会体制が行き詰まり、フランス革命が勃発する混乱のさなか、破竹の勢いでヨーロッパを席巻し、英雄といわれたナポレオンは、絶頂期には皇帝にまでのぼりつめます。

ところが、ロシア遠征に失敗して栄光の座から転落し、最後はセント・ヘレナ島に幽閉されてしまいます。

ナポレオン法典を制定し、あれだけ生きたあかしを残しても、6年間の苦悩に満ちた生活の末、失意の中で生涯を閉じました。生前、このような言葉も残しています。

人生はとるに足らない夢だ。いつかは消え去ってしまう……。(ナポレオン)

19世紀イタリア ジュゼッペ・ヴェルディの場合

音楽の世界にもあります。

「椿姫」「アイーダ」といった名作を残した、19世紀を代表するイタリアの作曲家ヴェルディは、晩年、シェイクスピアを原作とする歌劇「オテロ」や「ファルスタッフ」を完成し、好評を博しました。

当時の人たちにとっても、私たちからしても、すばらしい作品群が残されています。

 ところが本人は、晩年、健康が著しく衰え、そんな自分の状態にすっかり憂鬱になってしまいました。

1901年、80歳になった死の年に、こう書いています。

わたしは生きているのではなく、ただ草木のように存在しているだけだ……

わたしはもうこの世に何もすることがない。(ヴェルディ)

 あれだけの作品を残し、世界的な名声も得たのに、少しも嬉しくなさそうです。

せっかくすばらしい作品を残したのに、それが自分にとって意味が見いだせなくなってしまったのです。

20世紀フランス クロード・モネの場合

 フランスの印象派の画家クロード・モネは、日本好きだったことでも知られています。

睡蓮の池にかかる日本風の橋の絵をたくさん描いたり、 着物を来た奥さんをモデルに「ラ・ジャポネーズ」というきれいな絵もあります。

晩年には画家として高く評価されていたのですが、だんだん自分の絵画の価値について根底から疑いを持つようになり、自分の絵を破いたり燃やしたりするようになりました。

最後にはこう言っています。

私の人生は失敗に過ぎなかった。私に残されたすべては、私が消える前に、すべての作品を破壊することだ。(クロード・モネ)

20世紀スペイン パブロ・ピカソの場合

 スペイン出身、フランスで活躍したピカソもそうでした。

落札額が100億円を超すこともある絵画を描きましたが、晩年になると、自分の絵に確信が持てなくなります。「傑作なのかクズなのか分からない」と疑問を持ち始め、そのむなしさを打ち消そうと、ますます激しく仕事に打ち込みます。

ところが最後には誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる?すべて終わった。絵はわれわれが信じていたようなものではなかった。

それどころか正反対だった。(ピカソ)と言っています。

死んで行くときには、あのような沢山のすばらしい作品は、何の役にも立たなかったということです。

20世紀日本 夏目漱石の場合

 日本の文豪・夏目漱石も同じです。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『草枕』『三四郎』『それから』『こころ』と、あれほどの名作を残しながら、死の前年、最後の随筆『硝子戸の中』には、こう記されています。

今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。(夏目漱石)

 このように、人生の最後は、これまで自分の生きる意味だと思ってきたことすべてが光を失い、自分の生きたあかしなどに満足できないのです。

それでも生きたあかしが残ればいいのでは?

 もし満足できなくても、生きたあかしを「残す」ことが、生きる意味だとすれば、生きたあかしが残らなければ、生きる意味はありません。

あなたの作品や思い出は、しばらくは残ると思いますが、それはやがて必ず消えてしまいます。結局は、何も残らないのです。

心理学者の諸富祥彦氏も、分かりやすく解説してくれています。

たしかにあなたが死んでも、あなたの思い出はしばらく他の人の心に残るでしょう。

歴史に名を刻むような人物であればなおさらです。

しかしその幸運も永遠には続きません。何と言っても、『人類はいつか消えてなくなる』のですから。

(諸富祥彦『人生に意味はあるか』)

 地球の寿命さえもあと50億年と言われていますから、たかだかそれまでのことです。

地球資源を使えば使うほど、環境を破壊すればするほど、人類ははやく終わってしまうでしょう。

そうなれば私たちの生きたあかしは、すべて消えてしまいます。

せっかく人生かけて何かを残したのに、それはしばらくのことで、やがてなくなってしまうのですから、最初からあなたが存在しなかったとしても、何も変わりません。

人生は夢・幻のようなもの

 仏教ではさらに、宇宙や人類が消えてしまうどころか、それらを含めた人生自体が夢のようなものだと教えられています。
人間はただ電光朝露の夢幻の間の楽ぞかし(蓮如上人『御文章』)

人生の楽しみは稲妻のようにはやく、朝露のようにはかない、夢や幻のようなものだということです。

夢の中にも、夢の中の宇宙があり、夢の中の人類も歴史もあるでしょうが、夢が覚めればすべて消えてしまいます。

どんなに夢の中に、そこにいたあかしを残しても、夢覚めたとき、一体何の意味があるでしょうか?

仏教では、あなたの未来に待ち受ける夢覚めるときの光景、人生の終わりをこう教えられています。

まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。

されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ。

「まことに死せんときは」とは、あなたがいよいよ死んでゆくときは、ということです。

「生ある者は必ず死に帰す」と言われるように、どんな人も死をまぬがれることはできません。

死はあなたの百パーセント確実な未来です。「かねて」とは、今まで。

「たのみおきつる妻子も財宝も」とは、これまでたよりにし、心の支えにしてきたすべてのものです。

それが何であるかは人それぞれですが、誰しもこれが私の生きたあかしだとか、生きる意味だと思っているものです。

そんな今まで信じて生きてきたものすぺてを、ここで「かねてたのみおきつる妻子も財宝も」と言われているのです。

「わが身には一つも相添うことあるべからず」とは、元気なときは、これぞ自分の生きる意味と思っているでしょうが、死ぬ時は、どんな愛する家族もついては来てくれません。

 どれだけお金があっても、死んでいく時は一円たりとも持ってはゆけません。手に入れた物も、成し遂げたことも、地位も名誉も何一つ、明かりになるものはありません。全部この世においてかねばなりません。

太閤秀吉の辞世

豊臣秀吉が、辞世に露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢

と詠んでいる通りです。

「我が身」というのは、秀吉自身です。

当時の社会の最下層からスタートして日本中を駆けめぐり、才能と努力でついには天下統一を果たした英雄です。

そんな彼の人生も、「露と落ち露と消えにし我が身かな」。

夏の朝、草の上できらきら光る朝露が、日が昇る頃にはつるりと落ちて消えてしまう、

そんなはかないものであったと、その臨終の心境を告白しています。

「難波のことも夢のまた夢」とは、「難波」というのは、大阪のことですから、天下をとり、大阪を中心に極めた栄耀栄華も、

死んで行くときには、夢の中で夢を見ているような、はかないものでしかなかったと、寂しくこの世を去っています。

 死ぬのはまだ先だと、目の前の欲望にかられているときは現実のように思えても、最後本当に死ぬときには、夢のまた夢と消えてしまいます。

今まで必死でなしとげたことも、かき集めてきたものも、すべてを置いて、たった一人で真っ暗な後生へと立ってゆかねばなりません。

結局、自分の欲望に酔ったように引きずり回されて、夢のように死んで行く、酔生夢死で終わります。

そんな夢のように消えてしまうものが、本当の生きる意味と言えるでしょうか。

 人生は夢のように、最後、生きたあかしはすべて消えてしまいます。

このように、夢のように消えてしまう人生で、一体何をすれば、本当に生きた甲斐があるのでしょうか。

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