雲の峰いくつ崩れて月の山

https://note.com/su5/n/n140a7d299487   【雲の峰いくつ崩れて月の山】  より

松尾芭蕉が「奥の細道」で、出羽三山の月山に登った時の句です。芭蕉は、元禄二年(1689年)の旧暦六月に登っています。331年前のこと。

実は、私も2017年の夏(7月初旬)に出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)を登り、芭蕉の見た風景を追体験してきました。「はぐろ・がつ・ゆどの」の響きが、妙に気になっていたからかも知れません。

やまのなにいにしへびとのおもひこめ(青天)

四季の峰|出羽三山神社 公式ホームページ

道者自身が擬死再生の儀礼を通し、自己の生命の若返りをはかるとともに、祖霊をまつりなぐさめる峰である。出羽三山は主峰月山を中心に、北方の端に羽黒山、西南方の尾根上に湯殿山をもって三山とし、明治の神仏分離までは三所権現と呼んで拝した。

この三山が出羽三山と呼ばれるようになるのは元亀・天正(1570~92)の頃からで、それ以前は羽黒山・月山・葉山(月山の山脈が東に伸びた山)をもって三山とし、湯殿山を三山の総奥の院としていた。そしてこの三山を駈ける修行を三関三渡の行(さんかんさんどのぎょう)といい、夏峰の極意とされた。

神仏習合の時代、羽黒山は現世の安穏を約束する観音菩薩の補陀落浄土、月山は死者の赴く過去世にあって衆生を導く阿弥陀如来の極楽浄土、葉山は未来永劫にわたって衆生の苦悩を除く薬師如来の瑠璃光浄土で、各浄土の仏の加護と引導によってそれぞれの関を渡り、現在・過去・未来のすべてが凝縮された大日如来の密厳浄土(湯殿山)へ赴き即身成仏すると説く。

山中においては現在→過去(死後)→未来(再生)と流れ、通常の過去(生前)→現在→未来(死後)という秩序とは異なる時空で展開する。

(出羽三山神社公式ホームページより)

引用文の最後にある「山中においては現在→過去(死後)→未来(再生)と流れ、通常の過去(生前)→現在→未来(死後)という秩序とは異なる時空で展開する。」というところが、私にはさっぱり理解できません。

むしろ、自然に北の羽黒(過去)から登り月(現在)を越え湯殿(未来)へ降りてゆく人生の道のように感じた。そこで、原日本語で考えてみる。

羽黒・はぐろ  → ハクロ 15,b 2,cd 26,c a1256

月・がつ    → カツ 1,a 1357,a a1357

湯殿・ゆどの  → ユトノ 4,bcd 0,a 48,bd a48

羽黒+月+湯殿 → a1256 + a1357 + a48 = a12345678

 羽黒(過去) 月(現在) 湯殿(未来)  出羽三山(人生)

出羽三山を登ることで凝縮した人生を味わう、そんな風に感じました。

出羽三山の3つの名前を合成すると、ヤタノカカミ図象が現れますね。

天然・自然の相似の型として出羽三山の名は、変遷と循環の型を示す。

さて、余談が長くなりました。いつものように、音列を図象符に展開しましょう。せっかくなので、芭蕉の羽黒山での句も載せておきます。

涼しさやほの三か月の羽黒山(芭蕉)

ススシサヤホノミカツキノハクロヤマ

8,bd 8,bd 5,cd 0,bccd 8,ad

15,a 48,bd 3,cbd 1,a 1357,a 0,bbcd 48,bd

15,b 2,cd 26,c 8,ad 37,d

a58 a1458 a1357 b48 a1256 a378

ここは、「ほの」が効いています。「ほの」は「ほんの」で同一図象です。三日月が羽黒山にかかったころ芭蕉はホット一息ついた、暑かった昼間の丸い太陽とうって変わって夜の細い月が、一層の涼しさを呼び覚まします。「ほの」と「羽黒」が、図象的には鏡映関係となり、バランスが良いです。

雲の峰いくつ崩れて月の山(芭蕉)

クモノミネイクツクスレテツキノヤマ

2,cd 48,b 48,bd 3,cbd 2468,a

5,cbd 2,cd 1357,a 2,cd 8,bd 0,cd 37,bd

1357,a 0,bbcd 48,bd 8,ad 37,d

a248 a23468 a12357 a2378 a134578 a378

小円偶数位置の言葉は、奥ゆかしさがあります。古人(いにしへびと)が好んで選んだ言葉には、このような背景(潜む象に真実があり尊いものとして捉えていた)の言葉が多いです。「崩れて」の図象も現象界面から潜象側への比重が多いことが読み取れます。「くずれ」は「くす」と同一図象です。

次回は、現日本語の漢字の読みと送りがなの違和感について考察します。

(おまけ)

奥の細道

オクノホソミチ

6,bcd 2,cd 48,bd 15,a 5,cd' 3,cbd 3,a

a26 b48 a15 a3

a2468 a15 a3

さすが、「おくのほそ道」ですね。芭蕉の感性は、原日本人に近かったかも知れません。芭蕉が、生涯追い求めてきた「ミチ」だったのでしょう。

「ホソミチ」、原典文献の「アシアトウアン」やパーリ語の「サンカーラー」と同じ図象です。音列の中に、相似の図象が潜んでいる図象の妙です。