https://ameblo.jp/hibarasan/entry-11153606584.html 【蓬萊大黒通りブラブラ の巻(上)】 より
「もみじ通り」の記事 を書いて、予告からだいぶ経ってしまいましたが・・今回はもみじ通りと交差する「蓬萊大黒通り」を
まずはいちょう通りのほうからスタート。
まずは「蓬萊大黒通り」の由来の一つ
旧町名「蓬萊町」の案内板がありました。この「蓬萊町」の由来は、蓬萊観音を祀ったお堂があったからそうだ。蓬萊観音??そんなものここの通りにあったっけ?
(ということで、後で調べて解決しました。下の方で詳しく・・)
この案内板の向かいには、なかなかに歴史のありそうな建物がありました。質屋の「米兵」さん。明治30年代の古地図にも載っています。が、しかし!!!実はこの探訪した(1月上旬)後、この↑建物なんと・・・取り壊しちゃったんです。(=◇=;)
いや~、やっぱ都市計画の拡張のせいなんでしょうかね・・だからこの建物、もうなくなっちゃったんですよ~(´・ω・`)なんとも残念。
しばらく行くと、丁字路に小さな神社がありました。ここにあるのか?蓬萊観音。
表に名前は書いてなかったのですが、本殿の前にあった案内板に名前が書いてありました。
「菅原神社」という神社でした。宇都宮城の西の守護神らしい。そして雷神信仰うんぬんと書いてある・・。菅原?ということは、菅原道真? ビンゴです。だって「天満宮」って書いてあるしね~。でも、雷神信仰とはなんぞや?調べてみるとおもしろいことが分かりました。
菅原道真というと、受験シーズンの今、どうしても「学問の神様」とか「合格祈願!」のイメージが強いですが、なんでも菅原道真は太宰府に左遷され、無念の思いで没したそうな。
そして、道真が没した頃から、なぜか京都に落雷などの天変地異がいっぱい起こって
「これは道真の祟りだ~!」と言われて、恐れられたらしい・・。
だから菅原道真を雷神として崇めるようになった(祀って御霊を鎮める)とか。
へ~、それは知らなかったな~。┐( ̄∇ ̄)┌
菅原神社の境内には、なぜか二宮金次郎像もありました。けっこうしぶ~い年代物。
でも、ここの神社には、蓬萊観音らしきものは見当たりませんでした。
「蓬萊大黒通りブラブラ」後編は、また後の記事で書くとして、先ほど気になっていた「蓬萊観音」についての調査結果をば。
宇都宮市教育委員会が発行している「宇都宮の民話」 という本(PDFで閲覧可能)に
この「蓬莱観音」にまつわる話が出てきました。
もともとは宇都宮5代城主・頼綱が出家して京都に行って、修行から帰ってきた後、この蓬萊町にお堂を建てて安置した観音様のようですが、
なんでも、蓬萊観音はいつしか「朝日観音」と呼ばれるようになり現在は本町にある「光明寺」に安置されているとか・・
ということで、後日「光明寺」さんに行ってみました。場所は、本町(泉町のうしろあたり)です。
あ、本堂の横に観音堂発見。「朝日観音」と書いてある。
でも案内板は特にありませんでした。しかも閉まっている・・(-。-;)
なんとか見えないものか?と隙間を覗いてみたら・・ちょっと見えました。
思っていたよりも小さかったです。
この蓬莱観音(朝日観音)、民話の本に載っていただけあって、この観音様にまつわる民話が4つもありました。
その中でも、おもしろかった話を1つ。
むかしむかし鏡が池のほとりに、貧しいけれどもとても仲の良い夫婦が住んでいました。
ずっと子どもがいなかった夫婦が毎日観音さまに拝んでいたら男の子を授かりました。
しかし、お母さんが産後まもなく亡くなってしまいました。
おなかがへった赤ん坊は乳を求めて激しく泣くので、お父さんはやむなく自分の乳をふくませたところ、不思議にも乳が出て、赤ん坊の腹を満たすことができました。
そして、無事に心のやさしい元気な子どもに育てることができました。
めでたし、めでたし・・・
https://ameblo.jp/hibarasan/entry-11154372875.html 【蓬萊大黒通りブラブラ の巻(中)】
(上) からひきつづき「蓬萊大黒通り」を この通りは社寺仏閣が多いです。
菅原神社を後にし、次に訪れたのは「一向寺」さん。道沿いですが、ちょっと奥まったところに境内があります。なになに、重要文化財がある。 あ、これは!
「汗かき阿弥陀」だ!
名前は聞いたことがあったのですが、ここにあるとは知りませんでした。
なんでも、世の中に異変が起こる前になると汗をかく阿弥陀さんだとか・・・(((( ;°Д°))))
これは見てみたい!と思ってやってきましたが、この日は阿弥陀堂が開いてませんでした・・(´・ω・`)
阿弥陀堂の隣の石碑には、解説と「流汗の歴史」なるもの書いてありました。
今までは、宇都宮城主が戦死する前や百姓一揆の前、五十里大洪水の前、(江戸時代(1723年)にあった五十里湖(日光市)の洪水みたいです。被害は宇都宮にまで及んだらしい。)日清戦争・日露戦争、太平洋戦争の時、そして関東大震災の前などに汗をかいているらしいです。(む~ん・・・今回の震災前にも、汗かいたんだろうか?)気になる・・
ということで、後日再度訪れてみることにしました。(←もの好き)お、開いてる!(毎週日曜日の9時~4時は、ご開帳しているということです。)
こちらが「汗かき阿弥陀」さま。う~ん、汗かいてないですね。(←あたりまえである)
中には、さらに詳しい解説書がありました。日露戦争の時などは、拭ききれないほどの汗をかいたとか。で、住職さんに聞いてみたのですが、今回の東日本大震災前、汗は・・・
かかなかったそうです。(;´▽`A``・・・今後もかかないことを祈りましょう。σ(^_^;)
https://ameblo.jp/hibarasan/entry-11154572112.html 【蓬萊大黒通りブラブラ の巻(下】より
一向寺をあとにし、蓬萊大黒通りも中ほどに来ると、あったのが「大黒町」の案内板。
あ、ここの由来も蓬莱町と同じだ。「古くから三面大黒天が祀られていたので、大黒町と呼ばれるようになり・・」だって。
「三面大黒天」??またどっかにあるのだろうか、大黒さま。などと歩いていると、また道沿いに神社その2を発見。先ほど寄った菅原神社と同じ銀色鳥居。
・・・・( ̄ー ̄;まったくノーヒントすぎる!!案内板もなし。
覗いてみたけど、大黒らしきものも見えず・・・ここじゃないのか。おい、教えてくれ! うさぎとカメよ!!
案内板はないけど、ここで休憩でも?というようなキノコいす&テーブルもあったり・・。
で、後日「三面大黒天」の居場所についていろいろ調べてみたのですが、結局どこにあるかは謎でした。でもこちらの神社の名前は判明。「神明宮(しんめいぐう)」という神社でした。宇都宮城の四方固めの鎮守として西側に建てられた社だそうです。
さっきから社寺仏閣も多いな~と思っていたのですが、もう1つ気になっていたもの。
それが、「産婦人科」この通り、というかこの近辺エリア一帯って「産婦人科」がすごい多い!のです。なぜ?
場所によっては廃院しているところもあるんですが、なぜだかこのあたりに、産婦人科(婦人科も含む)が密集している気がします。って、自分が産婦人だから気になるだけかな?
またしばらく歩くと、案内板がありました。このあたりの旧町名は「歌橋町」昔、このあたりに住んでいた人が歌を詠み、その歌が万葉集に載ったという伝説から、この町名が起こったとか・・って、なんだその伝説!(笑)すごい由来ですね。(;^_^A伝説なので、本当に載ったのかどうかすらよく分からんですね・・。
ここら辺に「歌の湯」という銭湯があり、この地名からとったという文献があったのですが、歌の湯は見つけることができませんでした。
閉めちゃったのかな?バクさんの言っていた“銭湯”とか、ケン坊さんの言ってた“大きい煙突”は「歌の湯」さんだったのかもしれませんね。
また鳥居発見。大きく「不動尊」と書いてある。えと、こちらは案内板がありました。 「熱木不動尊」熱木は、「ねぎ」と読むそうです。
ふーん、なかなか歴史あるようだ。不動明王が祀ってあるらしい。多気不動尊にある不動明王像と兄弟像らしいです。中を覗きましたが、不動明王はよく見えませんでした。
「熱木公民館」と併用らしく、どちらかというと中は公民館ぽかった・・
平成通りまで歩いてきました。だいぶ日も落ちてきたので、この日はここまで。
平成通りを渡ると、次は不動前に通じる「不動前通り」があります。
実は、不動前通り~蓬萊大黒通り~材木町通りは「旧日光街道」なんですよね。
今は東武の横の道(←東京街道とも呼ばれてる)が日光街道ということになってるけど…
その辺のことも、調べつつまた「不動前通り」も、そのうちブラブラしてみようと思います。
19光明寺
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-キャッシュ
この観音像は「蓬莱観音」とも呼ばれたがいつしか「朝日観音」とも呼ばれるようになり、宇都宮景綱(かげつな)が東勝寺(とうしょうじ)を建立すると本尊になったといわれている。しかし、東勝寺が廃寺になってしまい観音像は光明寺(
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栃木県総合文化センターの裏手にあり、釜川や泉町の飲食店街からも近い。
本尊の聖観世音菩薩は、金箔が朝日に輝く姿から別名「朝日観音」と呼ばれる。伝承された民話も多く、昔から深く信仰されてきた観音様だったよう。だが、この光明寺に安置されるまで、寺を転々としたという歴史も持つ。
観音像を建立したのは宇都宮5代城主・頼綱と伝えられている。鎌倉幕府から謀反の嫌疑をかけられ出家し、法名は蓮生、小倉百人一首の生みの親とも呼ばれる人物。
現在、お堂に安置されているのは代替わりした観音像。
毎年7月17日に開扉法要が営まれる。
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