栃木と地域学

地域学概論 地域学概論 pdf 版 Regionology in English

「地域」を生きる

自治医科大学医学部総合教育部門文学研究室

樽本高壽

概要

 地域学(regionology)とは、人文科学(考古学、歴史学、文学、言語学、文化人類学)、社会科学(環境学、地政学、地理学)及び自然科学(生態学、地学、地質学)にわたる学際的視座とフィールドワークなどによる主体的視座によって総合的に地域を研究する学問である。W.アイサード(Walter Isard)による地域科学(regional science)は、意味ある地域か諸地域のシステム(domain)に関連する、経済的、政治的、社会的、文化的、および心理的諸要因あるいは諸局面の総合的かつ包括的研究として位置づけられるが、地域学における「地域(region)」は、「物語能力(narrative competence)」などの主体的アプローチによって日常生活圏域(living area)から共時的かつ通時的に一つの全体として措定される「地域(living sphere)」にまで敷衍される。

1. 辞書的「地域」の定義

(1) 区切られた土地。土地の区域。  [広辞苑]

(2) 政治・経済・文化の上で、一定の特徴をもった空間の領域。全体社会の一部を構成する。  [大辞林]

2. 様々な「地域」の捉え方

(1) 一般的な地域(Region) : 境界・範囲に関係なく漠然とした領域

(2) 空間的分類

Area : 土地の区分(Regionより狭い)

District : 特に行政上での区分

(3) 機能的分類

Community : 社会的要因による区分

Zone : 特別な意味を持つ区分

(4) 慣用的分類

Country / Provinces(辺鄙)、Local(地元)

3. 「地域科学」の成立

地域科学 (Regional Science)

1950年代にウォルター・アイザード(Walter Isard)によって定義され確立された社会科学の一分野。

対象 : 任意に区分された面域(area) ではなく、地域(region)

定義 : 意味のある地域か諸地域のシステムの発展に影響を及ぼす政治的、経済的、社会的、および心理的諸要因の総合的(統合的あるいは包括的)な分析。

社会とその人々の空間=時間的発展の、それらの社会的、経済的、政治的、および心理的諸次元のすべてにおける研究。 W.アイザード 「地域科学入門(I)」

4. 「地域科学」の変遷

1954年、国際地域科学協会(The Regional Science Association)創設。 

⇒ 国際地域学会(The Regional Science Association International : The RSAI)と改称。

1962年、日本地域学会設立(国際地域学会日本支部)。

その後、The RSAIを中心とする地域科学は、特定の国や地域の研究に偏ったり、冷戦構造のなかにおける地域研究(Area Studies)と混同されるなど、学問的に低迷していく。

1990年代、グローバリゼーションや地域格差などと相俟って「地方分権・地域主権」など地域主義が再認識され、国家主導や既存の学問体系では対応が不十分な社会状況が出現。

地方での経済的困窮のみならず都市部での人間疎外など、様々なかたちで「地域」の疲弊が指摘されて久しい。 

5. 風土学

・『空気と水とこころ』 Hippocrates (A.C.460-377)

・「市民の特性」 Aristoteles (A.C.384 -322)

 風土の特殊性が人体の生理や心情、さらには民族性に影響することを指摘。

・「人間の精神の風土学」  J. G. Herder (1744-1803)

 自然科学的な「知識」ではなく、人間の主体的な「理解」の対象として風土を考察し、土地の固有性を重視。

6. 文化相対主義の二面性

・「異なる文化に属する人々は異なる世界に住む」

 正しい倫理的原理は人や文化や時代によって異なる。全ての文化は対等であり、相手側の価値観を尊重し、そのありのままを理解しようとする態度。

・個人的相対主義の利点

 自由主義、プライバシーの尊重

 「自己言及のパラドックス」

 相対主義における「いかなる命題も、絶対に正しいということはない」という含意が、相対主義における命題の自己否定である。

 「異なる文化に属する人々が同じ世界に住む」現実。

・個人的相対主義の欠点

 ゲマインシャフト(伝統的共同体)からゲゼルシャフト(経済的共同体)への移行による人間疎外。

7. 人間存在の風土的規定

『風土』 人間学的考察 和辻哲郎 (1889-1960 )

 風土は人間の自己諒解の仕方であり、主体的な意味における空間性と時間性による人間存在の型として歴史的現象の解釈によって把握されるものである。

8. 主体的な異文化理解

・「言語相対論」 言語は認識に影響を与える思考の習性を提供する。 Benjamin Lee Whorf

・「文化」の語源は、「文治教化」(文徳によって教化すること)

・「誠信交隣」 互いに欺かず、争わず、真実を以て交わり候を、誠信とは申し候。雨森芳洲 『交隣提醒』

9. 新しい「地域学」

・これまでの「地域学」≒ 地域科学 ⊆ 社会科学

 地域(region)を研究対象にする経験的あるいは実証的な諸学問分野(政治学、経済学、地理学、社会学、人類学)にわたる包括的研究。

・新しい「地域学」の在り方

 人文科学(考古学、歴史学、文学、言語学)、自然科学(生態学、地学)、社会科学にわたるパースペクティブな視座とフィールド・ワークによる主体的な地域(living sphere)研究。

「物語能力(Narrative Competence)」による恕察が大切。

10. 地域学の学問的位置付け

11.「地域学」の要諦 I

地域学の領野

(1) 共時的視座 : 日常生活圏域(Living Area)を対象とした人文科学、社会科学及び自然科学による多元的アプローチ

(2) 通時的視座 : フィールド・ワークや「物語能力」等による主体的アプローチ

(1) の共時的諸局面を(2)の通時的時間軸が貫くという相互交流のなかでパースペクティブに捉えられ、

さらに一つの全体をなすシステムにまで敷衍される意味ある立体的領域として「地域(Living Sphere)」が措定される。

12.「地域学」の要諦Ⅱ

「地域(region)」⇒「地域(Living Sphere)」

すなわち

「地域」に生きる ⇒「地域」を生きる

 まず自らが住む「地域」を知り、反省的に「地域」を生きる自覚を培い、さらには豊かな人間性の恢復のため、主体的に「地域」の再生に関わることを目指す。

13.「地域学」の要諦 Ⅲ

涼しさを我宿としてねまる也    芭蕉

 「ねまる」は、うちくつろいで座ることの出羽方言。奥の細道の旅で尾花沢の鈴木清風を訪ねた際、涼しくしつらわれた座敷をまるで我が家のようにくつろいでいますという意。

・俳諧の三要素

(1) 挨拶・・・方言の使用は、地域文化に対する敬意の表れ

(2) 即興・・・ただ今、現瞬間を場として共有

(3) 滑稽・・・主客・物我一如を介した詩的昇華(arts)

科目名 地域学(regionology)

担当教員 樽本高壽

開講時期

A〔1〕学期 〔火・2〕時限

B〔1〕学期 〔木・2〕時限

C〔2〕学期 〔火・2〕時限

授業形式 〔講義〕、 授業回数 [10]回、単位[1]単位

履修定員〔 30 〕名

教育目標

 地域学は、意味ある地域か諸地域のシステムに関連する、経済的、政治的、社会的、文化的、および心理的諸要因あるいは諸局面の総合的かつ包括的研究として位置づけられてきた。しかし、ここで言う「地域」(region)とは、単なる土地の区域(area)ではなく(W.アイサード)、諸々の視座から関連 づけられるということにおいて意味ある領域(domain)であり、さらにはそれらが歴史や風土に根ざした相互交流的な有機複合体として一つの全体をなす システムにまで敷衍されると考えたい。

 近年の格差社会においては、地方での経済的困窮のみならず都会での人間疎外など、様々なかたちで「地域」の疲弊が指摘されて久しい。真に充実した生活の場として世界に開かれた「地域」再生のために新しい地域学的視座が求められる所以である。むろん、地域全体を視野に入れるべき地域医療においてもまたしかりである。

 まず自らが住む「地域」を知り、主体的に「地域」を生きる自覚を培うことが地域学の第一歩である。

教科書 資料配付

参考書

柳原邦光ほか『地域学入門』ミネルヴァ書房、中路正恒ほか京都造形芸術大学編『地域学への招待』角川学芸出版、森 浩一『地域学のすすめ』岩波新書、方波見康雄「地域を生きる医療」環 vol.39 藤原書店、方波見康雄『生老病死を支える―地域ケアの新しい試み』岩波新書、上垣外憲一『雨森芳洲』講談社学術文庫、網野善彦ほか『東シナ海と西海文化』 小学館、松野尾辰五郎『日本国家の起源 : 五島列島に実在した高天原』丸善出版、五島高資『蓬莱紀行』富士見書房。

授業項目・内容

1. 地域学総論 : 地域学とは何か、文化相対主義による地域研究

2. 栃木県の地勢と風土 : 地質や気候などの自然環境、温泉学および河川学的考察

3. 栃木県の歴史と文化・旧石器時代から飛鳥時代 : 七曲遺跡、篠山貝塚(縄文遺跡)、下侍塚古墳、三王山南塚古墳群、別所山古墳、那須国造碑、東山道、下野国府跡など

4. 栃木県の歴史と文化・奈良時代 : 万葉集(東歌、防人歌)、シルクロード終着点(最東端)としての下野薬師寺(戒壇院、鑑真、安如宝、道鏡)、日本古代の医療制度など

5. 栃木県の歴史と文化・中古 : 入唐求法巡礼行記(慈覚大師円仁)、藤原秀郷、那須与一など

6. 栃木県の歴史と文化・中世 : 宇都宮歌壇(塩谷朝業、宇都宮頼綱)、足利学校、樺崎寺跡など

7. 栃木県の歴史と文化・近世 : 世界遺産・日光の社寺と日光社参、宇都宮城、奥の細道関連史蹟(室の八島、那須、黒羽など)

8. 栃木県の歴史と文化・近代 : 戊辰戦争、足尾鉱毒事件、干瓢栽培、栃木県勢など

9. 対馬の地域学 : 北方大陸文化と南方海洋文化の交差点、朝鮮通信使、「誠信の交隣」雨森芳洲など。

10. 五島列島の地域学 : 環東シナ海文化、『肥前風土記』、遣唐使南路の国際官港(空海、最澄)、隠れキリシタン、捕鯨、珊瑚漁、五島椿など。

評価の方法

出席・受講態度・筆記考査自治医科大学医学部総合教育部門文学研究室「地域学」シラバス

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